昭和32年の7月25日から26日にかけて諫早地方を襲った豪雨は、1日で588ミリを記録する激しいものであった。このため、本明川をはじめとする市内の全ての河川は氾濫し、上流部の至るところで山津波が発生した。土石流が多くの田畑を岩石で埋め尽くし、多数の民家と人々を飲み込んだ。
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