こどものページ

菊池川は私たちのふるさととどんなかんけいがあるの?

菊池川(きくちがわ)の利用(りよう)が始(はじ)まったのは、はるか千数百年(せんすうひょくねん)も前(まえ)のこと。昔(むかし)の人(ひと)も水(みず)がないと生(い)きていけなかったから、水(みず)がたくさんある菊池川(きくちがわ)のそばに住(す)むようになったんだね。くらしに役立(やくだ)っただけじゃなく菊池川(きくちがわ)の水(みず)は、地域(ちいき)の発展(はってん)にとても大(おお)きな役(やく)わりを果(は)たしてきたんだよ。

歴史(れきし)

菊池川(きくちがわ)のまわりには、千数百年(せんすうひょくねん)も前(まえ)から人(ひと)が住(す)み、生活(せいかつ)をはじめ米作(こめづく)りなどに利用(りよう)するようになりました。水(みず)や食(た)べ物(もの)があるから人(ひと)が集(あつ)まるようになり村(むら)や町(まち)に発展(はってん)していったんだ。人(ひと)がふえると多(おお)くの作物(さくもつ)が必要(ひつよう)だから、田畑(たはた)を広(ひろ)くしたり堰(せき)や水路(すいろ)を作(つく)るなどの工夫(くふう)が行(おこな)われるようになったんだ。また洪水(こうずい)や日照(ひで)りによる水不足(みずぶそく)も昔(むかし)から起(お)こってたから、そのために工事(こうじ)なども行(おこな)われてきたんだよ。利水(りすい)(※1)にも治水(ちすい)(※2)にも歴史(れきし)があるってことだね。
史跡・石塘 史跡(しせき)・石塘(いしども)(玉名市(たまなし))
海水(かいすい)の進入(しんにゅう)を防(ふせ)ぐ石(いし)の堤防(ていぼう)。今(いま)は上(うえ)に石橋(いしばし)が作(つく)られている。
※1「利水(りすい)」とは、川(かわ)の水(みず)を利用(りよう)すること。また、そのための取(と)り組(く)みのこと。
※2「治水(ちすい)」とは、川(かわ)の水(みず)が洪水(こうずい)にならないようにするために工事(こうじ)などをすること。

産業(さんぎょう)

菊池川(きくちがわ)は、昔(むかし)から重要(じゅうよう)な交通路(こうつうろ)としての役割(やくわり)をはたしてきました。船(ふね)を使(つか)ってお米(こめ)をはじめとするいろいろな物(もの)を遠(とお)くまで運(はこ)べるようになったんだ。物(もの)が流通(りゅうつう)するようになると、港(みなと)や関所(せきしょ)が作(つく)られ物(もの)や人(ひと)がたくさん集(あつ)まる。だからもっとたくさんの物(もの)が必要(ひつよう)になるし、別(べつ)の物(もの)と交(こう)かんしたり売(う)ったり買(か)ったりする商売(しょうばい)も始(はじ)まる。さらによく売(う)れるように物(もの)が改良(かいりょう)されたり、大量(たいりょう)に作(つく)られるようになり、物作(ものづく)りや商売(しょうばい)がさかんになって産業(さんぎょう)の発展(はってん)をささえてきたんだよ。
高瀬船着場・俵ころがし 高瀬船着場(たかせふなつきば)・俵(たわら)ころがし(玉名市(たまなし))
江戸時代(えどじだい)、船(ふね)に積(つ)む米俵(こめだわら)をころがして運(はこ)んだ場所(ばしょ)。

文化(ぶんか)

人(ひと)や物(もの)が行(い)き来(き)するってことは、同時(どうじ)に新(あたら)しい知恵(ちえ)や考(かんが)え方(かた)、技術(ぎじゅつ)や習慣(しゅうかん)なども行(い)き来(き)するようになったということ。つまり文化(ぶんか)が生(う)まれたり伝(つた)わるようになったってことなんだ。おかげで私(わたし)たちの生活(せいかつ)は、さらに便利(べんり)で豊(ゆた)かになったんだ。熊本(くまもと)にたくさんの装飾古墳(そうしょくこふん)や遺跡(いせき)があるのは、昔(むかし)から人(ひと)が住(す)み文化(ぶんか)があったということだよね。古墳(こふん)の多(おお)くに船(ふね)の絵(え)がえがかれていることから、船運(せんうん)がいかに重要(じゅうよう)で川(かわ)と人(ひと)との結(むす)びつきが大(お
)きかったかがわかるよね。
チブサン古墳 チブサン古墳(こふん)(山鹿市(やまがし))
円(えん)もようが女(おんな)の人(ひと)のオッパイに見(み)えるため、名付(なづ)けられた。
国土交通省 九州地方整備局 菊池川河川事務所 All Rights Reserved.