トップ北九州の五街道を往く燃え石の道を往く(国道概要)行橋
『北九州の五街道を往く』より
中津街道を往く
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行橋
 
竹下シヅノ句碑
▲竹下シヅノ句碑  
神籠石(こうごいし)  
▲神籠石(こうごいし)  
馬ヶ岳古墳跡  
▲馬ヶ岳古墳跡  
   
水哉園
▲水哉園
「緑陰や矢を射ては鳴る白き的」。国道10号から分かれ勝山を目指す国道201号とともに上流へとさかのぼる長狭川のほとりにある句碑。刻まれた一句は行橋出身で「ホトトギス」の同人として活躍した俳人・竹下シヅノのもの。彼女の俳句は添削を受けた兄・房泰の影響が大きかったといいます。その房泰とともに村上仏山の仏山塾で学んだのが末松謙澄です。末松は新聞社を経て官界に入り、その後、陸軍省へ。後に伊藤博文の次女と結婚して逓信大臣など要職を歴任する一方で『源氏物語』の英訳本や、明治維新の貴重な資料である『防長回天史』など数々の著作を残した才人としても知られています。末松謙澄らに大きな影響を与えた村上仏山の私塾跡・水哉園を訪ねます。仏山の子孫の方が丹念に手入れした庭に、仏山を慕って集まってきた塾生たちのさざめきが聞こえてくるようです。遠くを見渡せば、なだらかな山々が緑豊かな平野を包んで京都のよう…。この土地が「京都郡(みやこぐん)」と呼ばれていたことに思い至ります。仏山の私塾も「都ならではの文化」が生んだのかもしれません。さて、山々のひとつ、御所ヶ岳に神籠石(こうごいし)があります。これは古代の山城といわれているもので、全長3キロにわたって土塁や列石が連なる様は壮観です。近くには馬ヶ岳城跡があります。天慶3年(940)の源経基の築城から元和元年(1614)に至るまで数々の武将の攻防の舞台となった所です。
 

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