トップ北九州の五街道を往く燃え石の道を往く(国道概要)田川
『北九州の五街道を往く』より
中津街道を往く
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田川
 
石炭記念公園
▲石炭記念公園  
風治八幡神社  
▲風治八幡神社  
綱分八幡宮
▲綱分八幡宮
田川や飯塚など「筑豊」と呼ばれた一大炭鉱地帯が、明治以来の日本の近代化・工業化を支えたことはよく知られています。その石炭が最初に発見されたのは江戸時代のこと。人々は石炭のことを「燃え石」とか「焚き石」と呼んで薪のかわりに重宝していたようです。その石炭は、塩田の燃料や船の篝火用に大量に売られるようになり、各藩の管理下で採掘が行われます。やがて、明治になると近代的な技術により大量の石炭採掘が可能になり、安川・麻生といった地元の業者から三井・三菱などの大財閥も参入して、昭和30年初期までその繁栄は続きます。田川にある石炭記念公園は、田川伊田鉱の跡を公園としたもので、明治以来の炭坑の賑わいを偲ばせてくれます。その石炭公園と駅を挟んであるのが風治八幡神社。川渡り神幸祭で知られる歴史ある杜です。神幸祭はそばを流れる彦山川を鮮やかに彩られた山車が渡るもので、大勢の見物客が集まります。さて、田川をあとに糸田町へ。流浪の俳人・山頭火と緑の深いこの町の伯林寺には句碑が…。「逢ひたいボタ山が見えだした」。ここにもボタ山が歌われ、筑豊を往く201号を「燃え石の道」とでも呼びたいような気がしてきます。糸田から烏尾峠へ。筑豊の名の元になった筑前と豊前の境の峠を下れば庄内町。綱分は太宰府に至る宿駅のあった場所とされています。古代、江戸、明治と、さまざまな時代の記憶を重ね合わせながら道は飯塚へ。
 

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