トップ北九州の五街道を往く燃え石の道を往く(国道概要)街道物語
『北九州の五街道を往く』より
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街道物語
飯塚・幸袋
▲飯塚・幸袋  
古代の官道が、江戸期になると街道として整備されてきます。201号の東半分、行橋から香春に至るまでの道には特に名前はつけられませんでしたが、中津街道へのルートとして重視されていました。貝原益軒は博多から上野、香春を経て豊前国別府へと旅し『豊国紀行』を書きましたが、このなかで、香春や現在の糸田町、庄内町のことを書き記しています。「飯塚よりすぐに香春にゆけば五里あり。二保村(庄内町仁保)を過ぎて烏尾たふげ(峠)あり。これ筑前・豊前の境也。福岡より是まで九里十二町あり。是より糸田に二里あり…」。国道二百一号の西半分、福岡(武士階級は博多でなく福岡と呼んだ)と飯塚を結んだのが篠栗(ささぐり)街道です。この街道は飯塚から八木山峠を越えて篠栗(金出ともいう)、原町を通って石堂橋で唐津街道に合流しています。こうして201号と旧街道を見てくると峠の多いのがわかります。東から仲哀峠、烏尾峠、八木山峠…。このうち、烏尾峠は筑前・豊前の国境で今も国境石が残されています。

石炭記念公園
▲石炭記念公園
さて、その筑前と豊前の頭文字を取って「筑豊」という名称が北九州の大炭鉱地帯につけられたのは明治のこと。それまでも「燃え石」として重宝された石炭は、黒田藩や小倉藩の管理のもとで採掘され、遠賀川や江川を通じて芦屋や若松に運ばれ、全国に売られていましたが、明治になって自由に採掘ができるようになって、多くの炭坑業者が生まれ、財閥も加わって一大炭坑地帯が生まれました。その背景には国の富国強兵政策があったこと、八幡製鉄所ができて燃料として大量の石炭が必要になったことが挙げられます。こうして飯塚をはじめとして一帯に「炭都」が生まれ、昭和30年初期までその隆盛は続きました。さて、炭坑関係者のはぶりの良さはいまでも語り継がれています。飯塚に残されている石炭王・伊藤伝右衛門の豪壮な屋敷がいい例でしょう。また、こうした関係者がクルマを連ねて博多に遊びに行くこともしばしばだったようで、その時のルートが今の国道201号でした。まさにこの道は「燃え石の道」だったのです。

飯塚・幸袋
▲飯塚・幸袋
その201号の現在を追ってみましょう。先ほどにも挙げたように山間部を通り、峠も多いこのルートは福岡と九州東部を結ぶ幹線として重要度が増し、クルマも増加する一方です。そこで田川バイパスや八木山バイパスなどが整備されたほか現在も飯塚庄内田川バイパスなどが整備されています。かつて黒田長政が八木山峠に新しいルートを拓いたように、いまも新しい道づくりは続いています。官道から街道、街道から国道へ…。新しい快適空間としての「燃え石の道」が未来へ向かおうとしています。
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