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| ▲飯塚・幸袋 |
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古代の官道が、江戸期になると街道として整備されてきます。201号の東半分、行橋から香春に至るまでの道には特に名前はつけられませんでしたが、中津街道へのルートとして重視されていました。貝原益軒は博多から上野、香春を経て豊前国別府へと旅し『豊国紀行』を書きましたが、このなかで、香春や現在の糸田町、庄内町のことを書き記しています。「飯塚よりすぐに香春にゆけば五里あり。二保村(庄内町仁保)を過ぎて烏尾たふげ(峠)あり。これ筑前・豊前の境也。福岡より是まで九里十二町あり。是より糸田に二里あり…」。国道二百一号の西半分、福岡(武士階級は博多でなく福岡と呼んだ)と飯塚を結んだのが篠栗(ささぐり)街道です。この街道は飯塚から八木山峠を越えて篠栗(金出ともいう)、原町を通って石堂橋で唐津街道に合流しています。こうして201号と旧街道を見てくると峠の多いのがわかります。東から仲哀峠、烏尾峠、八木山峠…。このうち、烏尾峠は筑前・豊前の国境で今も国境石が残されています。 |