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『北九州の五街道を往く』より
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街道物語
常磐橋
▲常磐橋  
出島へは「小橋を渡るぎり故、度々行けり」ということで、小さな橋を渡って何回も出かけたようです。そこでは蘭館つまりオランダ商館のカピタン(館長)の部屋を見て「其の綺麗更に別世界也」と、ビードロ障子(ガラス窓)のある西洋の建物の美しさに感激したりしています。この異国そのものであった長崎へは長崎奉行をはじめとする武士や学者、そして商人たちが出かけ、長崎からはオランダ商館のカピタンなどの外国人が江戸へ向けて旅立ってゆきました。この長崎と小倉を結んだのが長崎街道です。五七里(228キロ)のこの道は多くの人々が通りました。なかでも黒崎宿から木屋瀬・飯塚・内野・山家・原田宿に至る間は「筑前六宿街道」と呼ばれ大変な賑わいを見せました。同じ日に薩摩の島津斉興の一行と佐賀鍋島藩の大名行列が山家付近ですれ違い、街道が武士であふれかえったこともあったそうです。さて、このほかにもさまざまな人が街道を通っています。明治維新に大きな影響を与えた吉田松陰は若い頃、長崎留学への旅でこの道を通っています。平賀源内との交際によって西洋画を学ぶことを決心した司馬江漢もこの道をたどりました。天明八年(1788)のことです。その様子は『江漢西遊日記』に描かれています。

曲里の松並木
▲曲里の松並木  
 
さらに、文化二年(1805)、幕府の役人として長崎奉行所での仕事を終えた太田南畝が江戸へ向かいました。その記憶が「小春紀行」です。南畝はやはり平賀源内と交際があり「蜀山人」の名で狂歌もつくった才人です。文化六年(1809)には、『大日本沿海輿地全図』をつくったことで知られる伊能忠敬が測量のためにこの道を通りました。この旅の様子は『測量日記』に記されています。外国人ではオランダ商館の医師であったケンペルやツュンベリーそしてシーボルトが江戸参府の旅について書いています。それぞれ日本人とは違った視点で街道をとらえていますが、シーボルトがカワウソなどの動物や鳥類、さらにさまざまな植物について克明に記録しているのが印象的です。これが『日本』などの学術性の高い著書に結実したのでしょう。

国堺石(八幡東区)
▲国堺石(八幡東区)
ツュンベリーは『江戸参府随行記』で日本の道を讃えています。「この国の道路は一年中良好な状態であり、広く、かつ排水用の溝を備えて」おり、さらに掃除が行き届いている様子に眼を見張ったというのです。同じようなことをケンペルも書いています。参勤交代がある度に掃除され、旅人のマナーも良かったという当時の道の姿が偲ばれます。長崎街道は人の思いや歴史を伝えてくれる心の道です。長崎街道の心に倣い、その役割を知り、より良い形で今の道づくりに活かせるなら…。そんな思いでご一緒に旅しませんか。
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