トップ北九州の五街道を往く中津街道を往く(国道概要)小倉
『北九州の五街道を往く』より
中津街道を往く
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小倉
 
中津口門の辺り
▲中津口門の辺り  
大分脇道  
▲大分脇道  
葛原八幡
▲葛原八幡
曽根新田
▲曽根新田
戦国時代に中国地方の毛利氏によって築かれた小倉城を新たに本格的な天守閣を持つ城とした細川忠興は城につながる道を整備し、その起点に門を築かせました。中津口門はその一つ。この門に使われたという幅四メートルの大きな石を船場町の高倉稲荷神社で見、忠興が城の外堀として掘らせた砂津川を渡って中津街道の旅を始めます。黒原で大里方面から伸びてきた大分脇道を合わせた街道は広寿山や足立山のふもとを南へ行き湯川で大きく左へ曲がります。「家五六十軒あり。皆農家にて茶屋もあり」と菱屋平七が書いた湯川の道をたどれば、やがて葛原神社が。遠い昔、自ら皇位につこうとした道鏡を封じた和気清麻呂をまつる神社です。葛原を過ぎれば曽根。ここは曽根新田といわれる広大な干拓田があります。大里に生まれた数々の新田開発を手がけた石原宗祐が小倉藩の命による事業を完成させたときは96歳。一つのことに賭けた人間の強さを思い知らされます。曽根をあとに道をたどると狸山にさしかかります。企救(きく)郡(北九州市一帯)と京都(みやこ)郡(苅田町など五市町)の境にあたり、小笠原藩が各地に建てさせた郡境石も残るこの小高い丘は、幕末に長州の軍勢を小倉藩の家老・小笠原織衛らが迎え撃った場として知られています。「砲煙大空を鎖し、昼中暗澹として物凄き事言葉に尽くされず」。クルマが行き交う国道10号のかたわらで、かつての闘いに思いを馳せます。
 

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道千キロ漫歩