トップ北九州の五街道を往く中津街道を往く(国道概要)苅田
『北九州の五街道を往く』より
中津街道を往く
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苅田
 
松山城跡
▲松山城跡  
石塚山古墳  
▲石塚山古墳  
 
与原
▲与原
狸山を過ぎ京都郡へ。『豊国紀行』の中で貝原益軒は「むかし景行天皇が筑紫の国に来られたときに行宮を建てて住まわれたのでこのあたりを京都郡と名付けた」と書いています。その京都郡苅田の町を見おろす岬に松山城跡はあります。ここには石段などの遺構があり、豊前国第一の要塞として知られた昔を偲ばせてくれます。第一といえば、九州最大・最古の前方後円墳・石塚山古墳がこの町にはあります。このあたりが古代から政治の中心地であったことがこの大きな古墳からうかがえます。そして、町から海に眼を向ければ神の島(こうのしま)が…。緑に覆われたこの美しい島には人間の「クニ」ができる以前から神々が訪れていたといいます。王や神がいた場所は時を経た江戸時代には宿場となりました。菱屋平七は苅田をどう見ていたでしょうか。「浜辺にて人家六十軒計あり。多くは漁者農夫なり。宿屋少うして問屋場に本陣を兼ねたる林田五郎左右衛門といふ人の家に泊る。座席広々として縁先より見渡せば周防灘の白浪残る所なく望中にあり」。周防灘の雄大な眺めが平七の心をとらえたようです。さて、この道筋には里程標があります。「従是椎田迄四里半」。旅とは一面歩くことであった昔…。人々にとって距離を知らせてくれるこうした石柱の存在はどんなに心強く感じられたことでしょうか。そんなことを思いつつ与原あたりを行けば、やがて沖合に蓑島が見えてきます。
 

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