トップ北九州の五街道を往く中津街道を往く(国道概要)行橋
『北九州の五街道を往く』より
中津街道を往く
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行橋
 
大橋太郎の碑
▲大橋太郎の碑  
大橋の本陣辺り
▲大橋の本陣辺り  
須佐神社
▲須佐神社
中世に海賊が横行したことで知られる簑島は「潮満つれば海上に浮かび、潮干けば沓尾(くつお)の崎から平砂の地となる」島でした。遠浅のため潮がひけば歩いて渡れたのです。この島を測量した伊能忠敬も、干潮になって舟が使えず砂地を駕篭で戻ってきたことを書き留めています。こんなことから簑島は後の埋立で陸続きとなっています。与原から半里(約2キロ)で行事です。ここは商業で栄えた土地。長峡(ながお)川(昔は行事川といった)の川岸には小倉藩御用の蔵が建ち並んでいたといいます。京都郡の行事村から中津郡の大橋へ。大橋も菱屋平七が「竪横に家三百軒計あり」と書いたように賑やかな商いの町でした。御茶屋(本陣)があったとされる中学校のあたりを歩けば大橋太郎の碑が…。大橋太郎は豊後の武士。いわれのない罪を鎌倉幕府に問われるが、子どもや妻の嘆願により許され、豊後に帰る途中、暴風雨に見舞われて大橋あたりに漂着。やがて住み着いて商いを始め町を繁栄させたと伝えられる人物です。暮らしを豊かにする伝説の人物がいるかと思えば、健やかな暮らしをもたらす神様もいるのが行橋です。須佐神社で行われる今井祇園祭は、鎌倉時代に、このあたりで疫病がはやったとき京都の八坂神社から祇園杜を勧請し、悪病退散のお札として始まったもの。華やかな山車が繰り出し、全国で唯一の奉納連歌も行われる祭を見ようと大勢の人が詰めかけます。
 

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