トップ北九州の五街道を往く中津街道を往く(国道概要)豊津
『北九州の五街道を往く』より
中津街道を往く
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豊津
 
国分寺三重塔
▲国分寺三重塔  
藩校育徳館黒門
▲藩校育徳館黒門
八景山の巨石
▲八景山の巨石
底井野辺りの古門往環
▲旧制豊津中学
行橋を流れる川・祓(はらい)川を遡れば古代に豊前国府が置かれた街・豊津に行き着きます。国府とは現在でいえば県庁にあたる役所です。国作にある東西79メートルあまり、南北105メートルに及ぶ政庁跡からは太宰府系瓦や緑釉陶器などの国産の陶器、青磁などの輸入陶器などの破片も出土し、ここがまぎれもなく華やかな文化の中心であったことを告げています。その政庁跡から南方約300メートルには宇佐八幡宮と太宰府を結ぶ官道が走り、さらにその南方には国分寺が建立されました。明治に再建された国分寺三重搭の壮麗な姿は数々の伽藍が立ち並んだ「いにしえの都の様」を伝えてくれます。さて、国府が衰えてから忘れられていた豊津に新しい光を当てたのが小倉藩・小笠原氏です。難行原(なんぎょうばる)と呼ばれていた豊津台地を小倉藩が開発したことにより豊津は錦原と呼ばれる新しい町に生まれ変わったのです。やがて、幕末。中津街道の狸山や秋月街道の金辺峠で長州軍と奮戦した小笠原氏は、停戦のあと藩政の中心を小倉から豊津に移し、藩校・育徳館を設けるなどして藩の再生を夢みますが、廃藩置県でその夢も潰えます。いま、八景山に横たわる巨石・八畳岩から町を見渡せば、古代から、ここを舞台として繰り広げられたさまざまなドラマがよみがえってくるようです。古代の祈り、貴人や学僧たちが伝えた都の文化、緑の地を切り拓く意志、城下町再生に賭けた心…。
 

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