トップ北九州の五街道を往く中津街道を往く(国道概要)豊前
『北九州の五街道を往く』より
中津街道を往く
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豊前
 
松江宿の風景
▲松江宿の風景  
上往還・下往還・追分
▲上往還・下往還・追分
八屋宿
▲八屋宿
椎田から「一理八町」、農漁業を営む家が150軒あるなかに大きな造り酒屋があり宿屋もある(筑紫紀行)、という豊前松江の宿を通れば、やがて中津街道は四郎丸の追分で下往還と上往還に分かれます。海寄りの下往還を菱屋平七は行き、益軒は山寄りの上往還を行きました。浜通りとも呼ばれる下往還は八屋を通ります。ここは幕末になって松江と並ぶ宿となったところです。「町屋に商家もあれど屋並のさま、きたなげ(汚げ)にて、宿屋・茶屋もなく、ただうどん屋一軒あるのみ(筑紫紀行)」とありますから、菱屋平七が旅した亨和二年(1802)には、まだ宿場ではなかったことがわかります。八屋の上町あたりからは修験の山として知られる求菩提山に連なるクボテ道が伸びています。中津街道から伸びるクボテ道にはこのほかに二本あり、500を数える僧坊に大勢の山伏が集まったという修験の山の最盛期を偲ばせてくれます。さて、益軒の通った上往還は、勅使道とも呼ばれました。京都から宇佐神宮に下向する奉幣使(勅使)が通ったからです。この宇佐で上往還と下往還は合流します。上往還を往く益軒は高瀬川を越えて、下往還を行く菱屋平七は中津川を越えて中津の領内を行き宇佐を目指します。高瀬川も中津川も今の山国川のこと。その川向こうに平七が見たままの「中津の城の南手の堀櫓」が見えてきます。
 

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