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大正の道〜道路法の公布
第一次世界大戦も終わりを迎えた大正8年(1919年)4月、従来の道路関係の法律・勅令等を整理し、体系化した「道路法」が公布されました。これにより、明治44年までに60路線となった国道も38路線へと整理されました。明治9年公布の国道の等級や明治18年公布の「国道表」が開港場(貿易港)から整理されていたことに対し、「道路法」では伊勢神宮や県庁所在地を中心に整理されたところに時代の移り変わりが伺えます。各国道の路線は、「国道表」が古くからの「街道」を基に路線を定めたことに対し、「道路法」では国道の目的を中心として路線を認定しているため、経由地が以前の国道とは大幅に変化しています。
国道の管理は府県知事が管理者と定められ、改築・修繕費用に関しても各府県で負担するよう定められました。
この「道路法」の公布に伴い、道路台帳や道路・街路の構造に関する内務省令なども整備され、現代へと続く「道路」の基礎が確立されたといえます。
大正9年(1920年)8月10日には我が国最初の道路整備長期計画となる「第一次道路改良計画」が決定され、近代的な道路網の整備を進めることとなりました。
その後、大正12年(1923年)の郡制廃止に先立ち、「道路法」より「郡道」が廃止され、道路の種別は五種より四種へと変更されています。
また、大正時代には道路に新しい利用者「自動車」が登場してきます。明治32年(1899年)最初の1台が輸入された自動車は、明治時代末より国産化の動きが見られ、輸入自動車もその数を徐々に増してくるようになりました。道路法の制定された大正8年には約七千台、大正10年には約1万台、大正15年(昭和元年)には約4万台にたっするなど、急激な自動車の増加に伴い、大正8年1月には「自動車取締令」が公布、大正11年(1922年)11月には、「道路警戒標及道路方向標に関する件」として道路標識に関する内務省令も公布され、日本の「道路」も自動車時代の第一歩を踏み出すこととなりました。

◆道路法により公布された道路の種別と目的
国道

府県道







郡道







市道
町村道
 ・東京より伊勢神宮及び各府県庁所在地・師団司令部所在地・鎮守府所在地又は枢要な港に達する路線
 ・主として軍事の目的を有する路線
 ・府県庁所在地より隣接府県庁所在地に達する路線
 ・府県庁所在地より府県内郡市役所所在地に達する路線
 ・府県庁所在地より府県内枢要の地、港又は鉄道停車場に達する路線
 ・府県内枢要の地よりこれと密接な関係を有する枢要の地又は鉄道停車場に達する路線
 ・府県内枢要の港よりこれと密接な関係を有する枢要の地又は港に達する路線
 ・府県内枢要の鉄道停車場よりこれと密接な関係を有する枢要の地又は港・鉄道停車場に達する路線
 ・数市町村を連絡する幹線にて沿線地方と密接な関係を有する枢要の地又は港・鉄道停車場に達する路線
 ・地方開発に必要な道路で将来上記の一に該当する路線
 ・郡役所所在地より隣接郡市役所所在地に達する路線
 ・郡役所所在地より郡内町村役場所在地に達する路線
 ・郡役所所在地より郡内枢要の地、港又は鉄道停車場に達する路線
 ・郡内枢要の地よりこれと密接な関係を有する枢要の地又は鉄道停車場に達する路線
 ・郡内枢要の港よりこれと密接な関係を有する枢要の地又は港に達する路線
 ・郡内枢要の鉄道停車場よりこれと密接な関係を有する枢要の地又は港・鉄道停車場に達する路線
 ・数市町村を連絡する幹線にて沿線地方と密接な関係を有する枢要の地又は港・鉄道停車場に達する路線
 ・地方開発に必要な道路で将来上記の一に該当する路線
 ・市長の認定による
 ・町村長の認定による

◆道路法施行に伴い認定された国道38路線
 ※起点はすべて東京市です。
1号:
2号:
3号:
4号:
5号:
6号:
7号:
8号:
9号:
10号
伊勢神宮
鹿児島県(熊本市経由)
鹿児島県(大分市経由)
北海道
青森県
宮城県
千葉県
山梨県
群馬県
秋田県
11号:
12号:
13号:
14号:
15号:
16号:
17号:
18号:
19号:
20号:
石川県(高田市経由)
石川県(福井市経由)
岐阜県
京都府
奈良県
和歌山県
山口県(小郡町経由)
山口県(松江市経由)
島根県
鳥取県
21号:
22号:
23号:
24号:
25号:
26号:
27号:
28号:
29号:
30号:
徳島県(岩屋町経由)
徳島県(高松市経由)
高知県
愛媛県
長崎県
沖縄県
第七師団(札幌区経由)
第七師団(室蘭区経由)
第十四師団(栃木県)
第十五師団(愛知県)
31号:
32号:
33号:
34号:

35号:

36号:
37号:
38号:
横須賀鎮守府
呉鎮守府
佐世保鎮守府
舞鶴鎮守府
(京都府経由)
舞鶴鎮守府
(敦賀町経由)
横浜港
大阪港
神戸港

 

第一次道路改良計画
大正9年(1920年)8月10日、我が国最初の道路長期整備計画となる「第一次道路改良計画」が策定されました。
この計画は、30年の歳月と3億1千万円(当時)の予算をかけて全国の国道の舗装など路面の改良や拡幅をおこない、自動車時代に対応し、経済と産業・文化の発展に寄与する優良道路網を構築しようとする計画でした。当時の歳出額が約15億円であることから、財源は道路公債を発行してこれに充てることとし、道路公債法を同日付で公布しています。
当時の「道」は国道などの幹線道路においても舗装されている箇所は少なく、現在のようなアスファルトやセメントによる舗装は試験的に施工され始めたばかりであり、雨や雪などの気象条件・馬車の通行などによって路面が破損し、通行に困難を来すことなどが新聞等に度々報じられており、よりよい「道」が求められていました。
しかし、第一次世界大戦後の不況による緊縮財政や、大正12年(1923年)9月1日の関東大震災などの天災の復興など、道路改良に対する予算は常に低く抑えられ、全国に優良道路網を構築する計画は頓挫してしまいました。
この「第一次道路改良計画」にちなんで8月10日を「道路の日」と定め、道路の愛護や正しい利用を啓発する日としています。


 

北九州の大正の道
大正8年(1919年)の「道路法」公布にともない、国道38路線が認定されました。北九州を通る国道は「国道表」では4号・11号・34号・35号がありましたが、「道路法」では二号・三号の2路線となりました。両路線とも東京市を起点としており、一号を経由して目的地へ向かう路線となっています。

◆國道二號 東京市より鹿兒島縣廳所在地に達する路線(甲)
 【一號を経由して】 三重縣三重郡日永村〜三重縣鈴鹿郡關町〜大津市〜京都市〜大阪市〜神戸市〜岡山市〜廣島市〜下關市〜門司市〜小倉市〜福岡市〜佐賀縣三養基郡田代村〜久留米市〜熊本市〜熊本縣葦北郡水俣町〜鹿兒島市

◆國道三號 東京市より鹿兒島縣廳所在地に達する路線(乙)
 【一號・二號を経由して】 小倉市〜大分縣下毛郡中津町〜大分市〜宮崎縣宮崎郡宮崎町〜宮崎縣北諸縣郡都城町〜鹿兒島市

◆参考・國道一號 東京市より伊勢神宮に達する路線
 東京市〜横浜市〜神奈川縣足柄下郡箱根町〜静岡市〜名古屋市〜三重縣三重郡日永村〜津市〜伊勢神宮

 

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