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北九州みちくさ紀行
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早鞆ノ瀬戸
海峡を跨ぐ橋「関門橋」は、本州と九州の海峡が一番狭い壇ノ浦(下関)、和布刈(門司)間に架かっています。海峡のこの辺りを早鞆ノ瀬戸と呼び、有名な源氏と平家による壇ノ浦の戦いの舞台になった場所で、古代より人や物や文化が舟で行き来したこの海峡は、今よりもはるかに重要な海上交通のポイントでした。 関門海峡地図

 
和布刈神社
和布刈神社 門司側の関門橋のたもと、海峡を望むように和布刈神社は建っています。仲哀天皇九年に創建されたこの神社は海峡を挟んで、統治した大内氏や毛利氏をはじめ細川氏、小笠原氏と各時代の領主から篤く敬われてきました。
ここでは毎年、旧暦の大晦日の深夜から元旦にかけての干潮時に3人の神職がそれぞれ松明、手桶、鎌を持って海に入りわかめを刈り採り神前に供える和布刈神事が行われます。記録によれば「神事のわかめを朝廷に献上」(李部王記 和銅三年=710年)とあり、神事が奈良時代から行われていた事が伺えます。この神事は今も県の無形文化財に指定されています。

和布刈神社 和布刈神社 和布刈神社

 
神功皇后伝説
また、この海峡には神功皇后の伝説も残されています。
神功皇后は「日本書紀」や「古事記」に登場する第十四代仲哀天皇のお后(きさき)で、九州の熊襲が朝鮮半島の新羅と組んで謀反を起こした際に、これを平定するために仲哀天皇と神功皇后は九州へと赴きます。
この頃、早鞆ノ瀬戸は「穴門=あなと」と呼ばれ下関側と門司側は陸続きで潮の干満により、わずかに海水が流れている程度でした。しかし神功皇后の舟がここを通る際に山が一夜にして分かれ海峡となったのです。もちろんこれは神話としての伝承ですが一説には「仲哀天皇は5年余りの歳月を掛けて海峡を自軍の舟が通過できるように開鑿(かいさく)工事を行った」とも言われています。
早鞆ノ瀬戸

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