大淀川(おおよどがわ)の名前のいわれ
江戸時代のように、多くの藩が分かれていた時代には、一つの川がいくつもの藩領を流れて通過する。それで、同一の流れであるのに、場所によって呼び方が変わっていた。
大淀川は、都城では「竹之下川」と呼ばれた。宮崎の跡江あたりでは、「大川」と呼んでいた。下流部では、「赤江川」と呼んだり、赤井川と呼んだりしていた。
名前のいわれには諸説ある。『日本書紀』に書かれた「小戸(おど)の橘」から「小戸川(おどかわ)→おぉどがわ→おおよどがわ→大淀川」に転訛(てんか)した説や、大阪の淀川に「大」を冠して大淀川になったとの説、大淀川は広くて深い川という説、小戸、大渡の渡し名から付けられたという説などがある。

大淀川流域の市町村地図