143 杣山(そまやま) 宮崎市 
江戸時代、綾(あや)や高岡、糸原(いとばる)は薩摩藩領だった。高岡や去川の山々からは、日州御手山(おてやま)経営の総支配人山元荘兵衛のもとで、材木や木炭が大淀川を利用して大量に出された。綾の林産物は本庄川(綾南川)から出され、二つの川が合流する糸原の杣山(そまやま)に集められた。もともと杣山とは木の茂(しげ)った山とか材木を切り出す山のことをさすが、材木が集められる所も杣山といったのであろう。また、杣山には薩摩藩の川口番所(かわぐちばんどころ)があった。鹿児島から役人を派遣(はけん)し物資や人、舟の出入りを監視(かんし)した所でもあった。

御手山(おてやま)山林から材木を伐採したり、林産物(りんさんぶつ〜木炭など〜)を移出することを許可する制度。
川口番所(かわぐちばんどころ)  『三国名勝図会』十九




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