172 出来床(できどこ) 宮崎市 
宮崎大橋の東詰(ひがしづめ)、小松川以西の大淀左岸にかつてあった旧字(あざ)名である。文字通り考えると「床が出来た」つまり「かつての川床が土地になった」と考えられる。大淀川が湾曲する凹側にあたり、上流からの土砂が堆積(たいせき)しやすい土地である。かつて川床であった場所に次第に土砂が溜(た)まり、川原のような土地になったことに由来するものと思われる。


173 出水口(でみずぐち) 宮崎市
現在の祇園1、2丁目の旧字(あざ)名であり、大淀川に面する土地の地名であった。瓜生野方面からの大淀川が直線的にぶつかる土地で、しばしば堤防が決壊し、「水が出る場所(=口)」に由来すると思われる。昭和初期に建設省による宮崎市街地の大淀川堤防改修工事が行われているが、昭和29年の時点ですら、この地を「堤防決壊予想箇所」と記している新聞記事がある。
祇園二丁目の出水口公園



174 寺ノ前(てらのまえ) 宮崎市 
瑞雲寺(ずいうんじ)の前ということから付けられた地名で、曾井(そい)城跡の北西にある。地区の西丘陵の中腹に瑞雲寺という曹洞宗の寺があったが、明治5年(1872)に廃寺となった。寺跡には住職や檀徒(だんと)の墓石、それに室町後期の六地蔵幢(ろくじぞうとう)2基ほかが残っていたが、道路が開通し石塔は移転した。
小山のふもとが瑞雲寺跡、手前が寺ノ前



175 寺ノ前(てらのまえ) 宮崎市 
霧島寺の前ということから付いた地名と思われる。霧島寺は明治初めに廃寺となった禅宗の寺で、大淀川の堤防下に仁王像や供養塔が残っている。



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