霧島火山群における防災に関する検討の流れ
 霧島火山では、雲仙普賢岳1990年噴火の開始とほぼ同じ、平成2年度(1990年度)から平成4年度(1992年度)にかけ「霧島火山砂防基本計画」が検討され、霧島火山における火山災害危険予想区域図の検討、火山砂防基本計画の立案と火山噴火軽快避難対策の基礎検討が行われた。また、平成4年3月には国土庁の「火山噴火災害危険区域図作成指針」に基づき、これらの検討結果を基にして平成7年度に「霧島火山防災マップ」が作成・公表された。霧島火山は、1980年の駒ケ岳の「火山防災ハンドブック」、1986年の十勝岳「上富良野防災計画緊急避難図」に始まった、日本のハザードマップ及び火山防災マップ作成の中で、12番目に火山防災マップを公表した火山であり、108ある日本の活火山の中で火山防災対策の初期を築いてきた重要な火山として位置づけられる。また、平成4年(1992年)には、1991年の新燃岳の微噴火を受け、高原町が独自に「霧島火山防災の心得」を作成したことも火山防災の先進的な地域として特筆すべきことである。
 その後、霧島火山では火山砂防基本計画を元に、平成4〜5年度に鹿児島県側で霧島火山噴火対策計画の検討が行われ、監視・観測システムの構築が行われ、平成8〜9年度には宮崎県側で警戒避難対策に関する検討が実施された。
 これらの検討成果に基づきハード・ソフトの整備が進められてきたが、平成12年に有珠山、三宅島が噴火し火山対策の課題が明らかになったほか、新たな火山防災対策の取り組みが実施された。このため、平成14年から新しい火山防災対策に検討を進めてきた。