平成18年6月4日(日)、霧島火山地帯の現地見学を行うとともに、火山の恩恵から土砂災害まで様々な視点で火山を学び、私達のくらしと砂防との関わりについて理解していただくための「平成18年度 霧島火山砂防開放講座 霧島火山さぼう探検隊!」が開催されました。
 梅雨入り早々の計画で雨の心配もありましたが、当日は、トレッキングにはまずまずのコンディションで天候にも恵まれ、一般参加者19名・講師2名・スタッフ7名の総勢28名の「霧島さぼう探検隊」が結成され「霧島の植物たち」「霧島火山」「砂防の役割」について学びました。
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主催者を代表して挨拶する
宮崎河川国道事務所
工務第二課 堤課長
集合場所の皇子原公園からマイクロバスに乗って高千穂河原へ移動 高千穂河原からいよいよ出発 度重なる御鉢の噴火によりこの地に再建された霧島神宮 古宮址。後にうっすら見えるのが御鉢です。
高千穂河原を出発すると、さっそくカッコウの鳴き声が迎えてくれました。 ミヤマキリシマ群生地に到着
霧島の植生について説明する前田宗佐先生
(えびの高原ボランティアレンジャーの会副会長)
コガクウツギ。
えびの霧島の道路沿いに非常に多い落葉低木です。
キリシマツグミ。
実が熟すと、赤い果実で真っ赤に染まります。
コツクバネウツギ。
花は5〜6月に見られます。
登山道脇には、たくさんのキイチゴが実っていました。 足元には噴火で放出された岩石のかけらがころがっています。
多孔質(あながいっぱいあって、軽い)で赤〜黒のものをスコリアといいます。
スコリアについて説明する
井村隆介先生
(鹿児島大学理学部助教授)
熱心に話を聞く参加者たち。 火山灰層や軽石層で出来た地層が、霧島火山の噴火の規模や歴史を示します。 御鉢で1235年(鎌倉時代)に起こった噴火によって噴出した火山灰の層も見られます。
新燃岳の1716-17年(江戸時代)の噴火活動では、軽石の噴出とともに火砕流、泥流が繰り返し発生したことが噴火堆積物からわかります。 記録からは,この噴火によって、約850km離れた八丈島でも降灰があったこと、噴火は断続的に1年半くらい続いたことなどがわかっています。 火砕流に飲み込まれ、炭化した木。
火砕流に飲み込まれ、炭化せずに生木のまま残った木。 新燃岳の噴火で立ち木のまま炭化したもみの木。
1716-17年(江戸時代)に新燃岳で起こった噴火の時の火砕流に飲み込まれて炭化したそうです
感慨深げに炭化木に触れる参加者たち。 霧島が火山であることをあらためて感じさせられます。 新燃岳の東ではこのような炭化木がいくつも見られ、噴火活動の大きさを物語る貴重な遺産となっています。 噴火の直後には完全に消滅した森も、300年近くかけて今では豊かな森となっています。
霧島火山の周辺では、このような火山灰や軽石が積み重なって出来た地層があちらこちらで見られます。 現在の霧島の豊かな自然は、噴火による破壊と再生の繰り返しによってつくられてきたものだということが理解出来ます
矢岳砂防えん堤:上流から流出してくる土砂を貯め、下流への被害を防ぎます 砂防の役割について説明する宮崎河川国道事務所
工務第二課 下西係長
参加者集合写真