川の呼び名というものは地域によって変わるもので、遠賀川も地域や時代によってその呼び名を変えています。
 「遠賀」とは郡名であった「岡」の岡が変化したものです。遠賀郡が周辺の牧場の多さから御牧郡と呼ばれたときは川も御牧川と呼ばれました。
芦屋町の御牧橋などの名称はこの頃の名残であると言えるでしょう。
  この御牧郡は寛文4年(1664)に元の遠賀郡に戻すように藩より命令があり、それ以降は遠賀川と呼ばれています。これが時代による変化です。
  では、地域による変化はどうでしょうか。遠賀川は上流から嘉麻川、直方川、木屋瀬川、遠賀川と名を変えて響灘に注ぎます。
  直方市を発した平成筑豊鉄道の車両が田川方面へ向けて最初の鉄橋を渡るときに「嘉麻川橋りょう」を書いてあるのを見ることができます。嘉麻というのは昔の郡の名で、そのずっと以前、大和朝廷の頃は「鎌の屯倉」と呼ばれたそうです。
  そうした伝統のある名前を記したのがこの橋なのです。

 

 
山上憶良
(660−?)
「銀も黄金も玉も何せむに勝れる宝子にしかめやも」。筑前の国司となった山上憶良が、視察の途中立ち寄った嘉麻郡で詠んだといわれるのがこの歌、「子等を思ふ歌」です。「金銀宝石が何になろう。子供ほどの宝がこの世にあろうか」という意味で、自然よりも人間への暖かな愛情を歌うことの多かった万葉の詩人、憶良らしさが感じられる歌です。
 奈良時代の郡は郡司が支配し、その役所は「郡家」と呼ばれました。嘉麻郡の郡家は現在の稲筑町にあったとされ、稲筑公園には、
「子等を思ふ歌」の歌碑が建てられて万葉の昔を偲ばせてくれます。
足利尊氏
(1305-1358)

足利尊氏
足利尊氏後醍醐天皇の新政権に反旗をひるがえしたのは建武2年(1335)のことです。尊氏は天皇側についた新田義貞を箱根で、天皇の軍を比叡山で破ったものの北畠顕家の軍に破れ九州へと敗走します。
 筑前の多々良浜に着いたときは500人足らずだったという尊氏の軍勢は、しだいにいきおいを取り戻しやがて京へと攻め上がります。このとき九州の拠点になったのが赤池町の興国寺あたりです。この寺は後に豊前国安国寺に定められています。安国寺とは尊氏が夢窓疎石の勧めで国ごとに建てたものです。なお、筑前の安国寺は山田市あたりにありましたが、今は小さなお堂を残すのみです。

興国寺(赤池町)

飯尾宗祗
(1421-1502)

飯尾宗祗
室町時代の連歌師であった飯尾宗祗はその生涯を通じて7回の大きな旅に出ています。「筑紫道記」に記された遠賀川流域をめぐる旅もその大きな旅のひとつです。このときは中国地方の有力な大名であった大内政弘の招きで山口へやってきたのです。
 山口から赤間ヶ関(下関)、若松、木屋瀬と来て、長尾で連歌の会を開き、太宰府から博多へ着いて滞在し、今度は香椎から芦屋を通って山口に戻る旅でした。
 芦屋からは水路を通って洞海湾へ抜け、そのまま外海へ出て下関へ着いたことが書かれており、当時の水上交通の様子を伝えています。

芦屋方面を望む


豊臣秀吉
(1537-1598)
豊臣秀吉
織田信長につかえ、やがて明智光秀を破った豊臣秀吉は天下平定に向けて動き出します。九州の島津征伐に向かったのが天正15年(1587)のことでした。このとき島津氏と結んで古処山に立てこもっていたのが秋月種実です。ところが、秀吉の軍勢の多さに肝をつぶした種実は愛用の茶器を差し出して降伏します。
 嘉穂郡の大隈の人々は、この秋月攻めに協力したということで秀吉から陣羽織を贈られました。この陣羽織は今、国の重要文化財に指定されて大切に保存されています。又、秋月種実がこもった古処山は遠賀川の源流がある馬見山や屏山とともに嘉穂地方の三山として知られ、秋月攻めの時の史跡が残っています。

秀吉の残した陣羽織

黒田長政
(1568-1623)

黒田長政
黒田長政は豊臣秀吉につかえた黒田如水の長男ですが、関ヶ原合戦の時は徳川方に加勢しました。その見返りに筑前52万石を与えられ慶長5年(1600)に入国しました。
 長政は城を構え町には福岡と名付けました。黒田家発祥の地が播磨国(兵庫県)福岡だったからです。さて、筑前が52万石というのは表向きで実際はそれより少なかったようです。長政は石高つまり米の収穫量を増やすために新田開発を思いつきました。 そこで目を付けたのが広い平野を持つ遠賀川流域です。大陸から伝わった稲作が早くから行われていたこの地の水害をなくすため、長政は治水に打ち込むことになったのです。

福岡城

 

 

遠賀川流域は早くから稲作が伝わった土地です。稲作と同時に大陸の文化が川をさかのぼって伝わり、多くの人々が集まって住むようになりました。 集まった人々は集落をつくります。水巻町の立て屋敷遺跡もそうした集落のひとつです。この遺跡は現在、水中に没していますが、平成6年の渇水で姿を表し多くの人が見学に詰めかけました。ここで以前に発見された土器は稲を保存するために使われていたもので、かなり早くから稲作が行われていたことを裏付けるものです。この土器は後に遠賀川式土器と名付けられました。その独特な文様の土器が各地で見つかったことで稲作が東の方へ伝わっていった様子を知ることができたためでした。集落は、やがて国となり王が生まれます。そしてその王のための大きな墓もつくられました。それが古墳です。遠賀川流域には桂川町の王塚古墳や若宮町の竹原古墳など、美しい色彩で紋様を墓の内部に書いた「装飾古墳」が多く見られます。王塚古墳は動物や円・三角などの幾何学模様が細部にわたって描き込まれて、当時の文明の高さがうかがわれます。流域に残された古墳など古代文化を伝えるものに接すると、文化を伝え育んだ遠賀川という豊かな流れが思い起こされます。

王塚古墳

 

田川市魚町、風治八幡神社。5月の中頃の2日間、ここでは川渡り神幸祭が行われます。抜けるような青空のもと八幡神社を出た山車は彦山川を渡り対岸の御旅所へと渡り再び神社に帰ります。
  川渡りでは近くの白鳥神社の御輿も加わって複数の山車が川の中を練り歩きます。山車や御輿のひき手の張り上げる掛け声があたりに響きわたり、山車につけられたバレンの赤や黄、紫などの鮮やかな色彩が水に映える様を見ようと大勢の見物客が詰めかけます。
  この川渡り神幸祭は、遠賀川流域で行われる水にまつわる祭に共通してみられる「禊ぎ払い」という性格を持っています。
  古来より水には罪汚れを取り去る力があるとされていますから、川渡り神幸祭で、ひき手が水をかけ合うのも自然に禊ぎをしていることになるのです。
  また、この祭には豊作への願いが込められています。山車に付けられたバレンは130本ほどの竹に様々な色紙を貼ったものですが、これはたわわに実る稲穂を表したものだといわれています。

 

献鮭祭

 

鮭神社

 

鮭神社の内部

 

川にまつわる祭といえば嘉穂町大隈の鮭神社で行われる献鮭祭は人々と遠賀川の関わりを最もはっきり示すものと言えるでしょう。
  鮭を祭った神社は京都の大原神社などほかでも見られますが、鮭と名のつく神社はここだけです。この神社は「筑前国続風土記」にも「鮭大明神。大隈村の産靈なり」と紹介されています。「うぶすな」とは土地をしずめて守る神様という意味です。
  この神社の境内には鮭塚があります。のぼってきた鮭を神の使いとして大切にして豊作を祈りこの鮭塚に埋めるのが献鮭祭です。これは記録にあるだけでも明和元年(1764)から続いている祭です。
  昭和初期までは鮭の姿も見られましたが、その後石炭業が盛んになるにつれて水も汚れ、鮭のかわりに大根をたて割りにしたものを埋めていたそうです。
  それが昭和53年に水巻町で40年ぶりに鮭が発見されたことから鮭神社の氏子をはじめ、流域の多くの人々が「鮭が帰ってくるほど水がきれいになった」と言って大喜びしたそうです。
  昭和61年からは各地で稚魚の放流が続けられ、鮭が遠賀川へ帰ってくるようになりました。
  遠賀川の水質がさらに良くなり、魚道などが整備されることで、その数が増えることが期待されています。昔の美しい流れを取り戻しつつある遠賀川の象徴がこの鮭の遡上りなのです。

 

神幸祭

 

神幸祭が行われる彦山川をさかのぼり田川郡から添田町にはいると北部九州で最も高い山、英彦山がそびえています。この英彦山は出羽の羽黒、紀州の熊野と並んで日本三大修験道霊場に数えられていました。
 元は「日子山」と書かれていました。これは天照大神の子である天忍骨命が降臨した、つまり太陽の子が降り立ったという言い伝えがあるためです。この名が「彦山」に変わり、さらに霊元上皇から「英」の字を賜って「英彦山」となりました。彦山川と英彦山で書き方が違うのはこのためです。
  鎌倉時代初めに書かれた『彦山流記』には「嶺に三千の仙人あり」とあり、この信仰の山が大きな力を持っていたことがわかります。
  英彦山の山伏たちは秋になると英彦山を下り、福智山に登って修行し、再び英彦山に帰りました。このことは、「秋の峰入り」と呼ばれたそうです。
  この「峰入り」によって開かれた福智山は現在、九州国定公園としてハイキングロードなどもあり、竜王峡などの名所が多くの観光客を集めています。
  福智山は国見山とも言います。この姿の美しい山からは、響灘に注ぐ遠賀川の悠々とした流れや緑の平野を見渡すことができるからです。
     

福智山

 

英彦山

 

その遠賀川の堤を季節のたびに花が彩ります。菜の花の春。コスモスの秋。鮮やかな色の連なりが心を和ませてくれます。そして夏。夏はハマユウの白。芦屋町の海辺に咲くこの花も遠賀川の花です。
  遠賀川流域には、歴史を伝える山や時を越えて流れる川、そして肥沃な平野が織りなす豊かな自然が横たわり、その中で多くの人が暮らしています。
 
昭和20年 終戦。マッカッサーを頂点とする連合軍の支配が始まる。
第2期改修工事着手(遠賀川修補事務所設置)
昭和21年 東京裁判改訂。
「リンゴの歌」が流行。
昭和22年 社会党首班連立内閣成立。
「鐘の鳴る丘」放送開始。
賠償金制度による鉱害復旧事業開始。
昭和23年 帝銀事件。冷戦を象徴する「鉄のカーテン」が流行語に。
遠賀川工事事務所に改名。
飯塚市より直方市に移転
昭和24年 下山事件、三鷹事件起こる。
映画「青い山脈」公開。
遠賀川改修全体計画策定。
昭和25年 朝鮮戦争勃発。レッドパージ。
特需景気。
黒川直轄編入
昭和26年 対日講和条約調印。
日米安全保証条約調印。
昭和27年 もく星号大島に墜落。
NHK「君の名は」を放送。
臨時石炭鉱業復旧法制定。
昭和28年 吉田内閣がバカヤロー解散。
街頭テレビが人気に。
6月戦後最大の洪水(植木堤防破堤)
昭和29年 自衛隊発足。洗濯機・冷蔵庫・掃除機「三種の神器」に。
総体計画採択。
昭和30年 神武景気。石原慎太郎「太陽の季節」を発表。

昭和31年 経済白書の「もはや戦後ではない」が流行語に。
碇川放水路完成。
昭和32年 なべ底不況。ソ連、スプートニク打ち上げに成功。
菰田水門完成。
昭和33年 ミッチーブーム。一万円札発行。
ロカビリー流行。
水洗炭業取締条例制定。
昭和34年 岩戸景気。皇太子ご成婚パレード。テレビ売れ行き急増。

昭和35年 国民所得倍増計画決定。
ダッコちゃん人形流行。
中元寺川河床陥没事故。
昭和36年 ガガーリン少佐、地球一周有人飛行に成功。

昭和37年 若戸大橋開通。堀江謙一小型ヨットで太平洋横断に成功。
彦山川、田川市周辺を重点的に施工する。
昭和38年 ケネディ大統領暗殺。三井三川で炭塵爆発事故発生。
改訂総体計画の策定。
彦山川、穂波川等で一部改修完成。
昭和39年 東京オリンピック開催。東海道新幹線開業。
本川、小竹・飯塚・稲築・大隈地区を施工。
昭和40年 「公害」が流行語に。
エレキギターブーム。
本川は嵩上げ等で69650平方メートルを築堤。浚渫、護岸等も継続実施。
昭和41年 一級河川に指定される。本川では在来堤防の嵩上げ等で73600平方メートルを築堤。他に河床低下防止の床固、護岸、浚渫等を実地。
昭和42年 碓井市や芦屋町の特殊堤を施工。鴨生の10000平方メートル。頴田町の15000平方メートル、直方市の12000平方メートルなど築堤施工が進む。
昭和43年 明治100年。「昭和元禄」が流行語に。三億円強奪事件。
新御徳橋、東口橋完成。中間市低水護岸施工320メートル(災害合併)。
昭和44年 米アポロ11号、月面着陸に成功。東名高速開通。
飯塚市築堤10000平方メートル(鉱害復旧と合併)。穂波川築堤
32000平方メートル。
昭和45年 日本万国博覧会。歩行者天国。三島由紀夫、自衛隊乱入。
下益橋完成。鯰田築堤490メートル。
笹尾川堀削8000平方メートル。
昭和46年 ドルショック。Tシャツとジーパンが大流行。
田中橋完成。小野牟田橋完成。彦山川下境築堤370メートル。
菰田排水機場完成。
昭和47年 沖縄県発足。日中共同声明に調印。浅間山荘事件。
上西郷下益築堤護岸1600メートル。感田築堤530メートル、低水護岸170メートル。
昭和48年 オイルショック。
「省エネ」が流行語に。
上山田鉄橋架替完成。
昭和49年 小野田寛郎元少尉ルバング島より帰国。長島茂雄引退。
工事実施基本計画改定。
昭和50年 沖縄国際海洋博覧会開催。
花ノ木堰、可動堰に改築。水質汚濁防止連絡協議会設立。
曲川排水機場完成。
昭和51年 ロッキード事件。「ピーナッツ」が流行語に。
西川の直轄編入。碓井、井戸前橋完成。川島排水通管一ヶ所。
鯰田・藤野川排水機場完成。
昭和52年 日航機、赤軍派にハイジャックされる。
飯塚市、目尾護岸235メートル1567平方メートル。知古護岸225メートル、2020平方メートル。
昭和53年 成田空港開港。
異常渇水で田川市・香春市・水巻町等が給水制限を受ける。
昭和54年 第2次オイルショック。
「ウサギ小屋」が流行語に。
6月に大洪水。
昭和55年 モスクワオリンピック不参加。校内暴力などが急増。
遠賀川河口堰、本体完成。
学頭・曲の手・前川各排水機場完成。
昭和56年 福井謙一教授ノーベル化学賞受賞。中国残留日本人初来日。

昭和57年 DC−8型機が羽田空港着陸寸前に墜落。東北新幹線開業。
山鹿排水機場完成。
昭和58年 日本海中部地震。おしんブーム。
岡森堰改築。高柳堰改築。
昭和59年 かい人21面相事件。投資ジャーナル事件。

昭和60年 科学万博博覧会。日航機、群馬県御巣鷹山山中に墜落。
6月洪水、倒壊、浸水による家屋被害が発生。笹尾川排水機場完成。
昭和61年 伊豆大島三原山が噴火。都心の地価高騰。
川端排水機場完成。
昭和62年 利根川進教授にノーベル医学・生理学賞。
糒堰改築。
昭和63年 青函トンネル開業。瀬戸大橋開通。なだしお事件。

昭和64年 昭和天皇死去。消費税スタート。礼宮婚約発表。

平成元年 昭和ブーム。手塚治虫死去。美空ひばり死去。
殿浦排水機場完成。
平成2年 台風19号が本州縦断。天皇即位の礼。ドイツ統一。

平成3年 湾岸戦争勃発。ソ連邦消滅。雲仙普賢岳噴火。
一本木堰改築。7月洪水、内水被害発生。
平成4年 毛利衛さん宇宙へ。バルセロナ五輪で岩崎恭子金メダル。
建花寺川浄化施設完成。
平成5年 皇太子ご成婚。細川内閣成立。「清貧」が流行語に。

平成6年 自社さ連立内閣発足。大江健三郎ノーベル文学賞受賞。
異常渇水。流域の11市で時間断水が実施される。
庄司川排水機場完成。
平成7年 阪神大震災。地下鉄サリン事件。
白門堰・釜の口堰・伊田堰改築中。居立川浄化施設建築中。
7月洪水。