古くは『筑紫国続風土記』にも、燃え石あるいは焚石として印されている石炭は、江戸期には家庭用燃料から塩田用燃料などに用いられ、藩の専売品として藩外にも売られていました。

 明治期に入ると、新政府の方針で自由に採掘が出来るようになり、中央資本から地元企業までが石炭事業に本格的に乗り出しました。この後、遠賀川流域の炭鉱部は明治、大正、昭和と日本の産業を支え続け、特に第二次世界大戦後の日本の復興には大きく貢献しました。