添田町(そえだまち)庄(しょう)の宮城病院の接骨治療やカッパ膏薬(こうやく)は「庄の骨つぎ」で広く有名で治療に来る人が多く、その伝承に次のようなものがある。 庄の池に親を殺されたサラ吉というみなしごカッパが住んでいて、魚たちと暮らしていた。ある日、大雨が降って、池の中に木の丸太や石が激しく流れこみ、多くの魚が死に、サラ吉も右腕を折ってしまった。その痛みは日に日にひどくなり、魚たちのすすめもあって、しかたなく、恐れていた人間の医者の所に行った。医者は「ほほう、これはめずらしい病人じゃ」といいながら、親切に手当てをしてくれたので、サラ吉は安心して通い、二八日目によくなってもう来なくてよいといわれた。サラ吉は、医者の熱心な治療に何かのお礼をと考えるが何もないので思案にくれていると、母親が残した箱があることを思い出した。サラ吉は池の底にもぐり、箱を取り出してあけると、「河童の妙薬」と書いてあったので、いいものがあったとそれを医者のところに持っていった。それからというもの、親切な医者の病院は「カッパの妙薬」で売り出し、骨接ぎで末永く栄えたということである。 また、一人の武士が川端の道を歩いていた時、転んで手の骨を折って苦しんでいるカッパの手当てをして川に帰してやった。そのお礼に、カッパが秘伝の骨接ぎ薬を伝授したという話もある。 さらに別の話もあり、医者の奥さんが便所に入った時、カッパが手をのばして尻をさわろうとしたので、奥さんは持っていた短刀で腕を切り落とした。カッパは腕を返してもらうように頼み、そのお返しとして、骨接ぎ薬の秘伝を教えたというのである。後の話に類似の伝承は穂波町(ほなみまち)にもある。 ― 香月靖晴著『「遠賀川」流域の文化誌』より ― ![]() |