筑穂町(ちくほまち)、JR篠栗線九郎原(くろうばる)で降りて、内住川(ないじゅがわ)沿いを下ると、川の中に大きな石があり、土地の人は「ナマズ石」と呼んでいる。この石は、昔はずっと下流にあったが、どうしたことか上流に向かって上りはじめた。村人は、このままだと石は三郡山に登って村にどんな災いが起こるかわからないと恐れた。その時熊五郎という豪の者がいて、ナマズならば尾を切ればよいと、石の後ろの方をたたき切ってしまった。それで石は動かなくなり、現在地に留まったという。

 宮田町(みやたまち)八木山川(やきやまがわ)の岩淵(いわぶち)の話である。昔、この村に一人のお坊さんがやって来て、川で馬を洗っている人に声をかけ、「岩淵という大きな淵はこのあたりかな」と聞いた。坊さんは「その淵には大きなナマズがたくさんいると聞いたので見に来ましたのじゃ」という。それで、村人は、坊さんを岩淵に案内して、「近いうちに村で鵜を淵に入れて、大ナマズたちを捕えることにしているので、これが見納めでしょう」といった。それを聞くと、坊さんは顔を青ざめて、やめるように訴えるとともに、村の庄屋の所に案内を頼んだ。村人は坊さんの熱心さにことわれず案内すると、坊さんは淵に鵜を入れないよう必死に頼んだ。庄屋はそれほどであればととりやめることを約束した。その夜は遅くなったので、坊さんは泊ることになり、晩飯に赤飯のもてなしをうけた。

 翌日、坊さんは早朝家人が知らないうちに出発していた。村人達は、坊さんとの約束はあるが、前から準備しているので、予定通り岩淵に鵜を入れた。鵜は次々に大ナマズをとってきたが、その中で、ひときわ大きい手負いのナマズが浮かびあがってきた。人びとは、やっとのことでナマズをあげ、腹を割いてみると、中から赤飯が出てきた。村人たちは、これは、坊さんに化けてナマズを守り通そうとした淵の主だったのだと語りあった。

― 香月靖晴著『「遠賀川」流域の文化誌』より ―