カッパの話で一番多いのが、春、秋の水神様の祭りにかかわることである。田川市内では、川祭りとかカワントントン祭りといって、川端や川の分岐点でお祓いをして、牛馬安全や家内安全を祈願した。その時、お供えした握り飯を子どもに食べさせると水難にあわないといわれた。その理由は、お供えした握り飯には神霊がこもっているからということである。 また、主食の米には穀霊が宿っているので、それを食べることで生命力が維持される。握り飯は穀霊のかたまりであるから、カッパも寄りつけなかったのだろう。 香春町(かわらまち)の水神祭の話が、「豊前と伝説」(『定本柳田国男集』第五巻四八二頁)に紹介されている。 同町中組では、タケノコ祭りといい、水神様に竹の輪切りを供え、子どもにはタケノコを食べさせた。川の中のカッパに、硬い竹でも食べるだけの力を示した、水難除けの呪術だといわれる。 稲築町(いなつきまち)の山野ン楽(やまのんがく)は、明治のはじめに中断した。ところが、村内に火災がひんぴんと起こるので、筑後の寅之丞という占い師に占ってもらうと、楽(がく)をやめたのでカッパが怒っているという答えであった。早速村人が山野ン楽を復活させたところ、火災は起こらなくなった。 この祭りをカッパ祭りともいう。 ― 香月靖晴著『「遠賀川」流域の文化誌』より ― ![]()
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