溶岩流の分布図
桜島火山の有史以後の山頂噴火は南岳で起こっており、その度に溶岩流出や火砕流によって大災害となっています。近年1,000年間に起きた代表的な噴火は、文明噴火、安永噴火、大正噴火、昭和噴火の4つです。
文明の噴火は、軽石を激しく吹き出す噴火で、火砕流も発生しました。桜島の北東山腹と南西山腹の2ケ所にできた火口から溶岩が流出しました。噴出した軽石の量は大変に多く、北岳の地形が一変したほどの大噴火でした。
溶安永噴火絵図
安永の噴火は、噴火の前日から地震が多く発生したり、井戸から熱水が吹き出すなどの前兆現象がありました。その後、まず南岳の南側の山腹から、次いで北東山腹で噴火が始まり、軽石や火砕流を噴出する激しい噴火が始まりました。さらに溶岩の流出も始まりました。 この噴火の犠牲者は153名ですが、その多くが降ってきた軽石の降下や火砕流によって亡くなったものと考えられています。
大正の噴火は、噴火の数日前から地震が多く発生したり、頂上付近で崩落が起こったり、あるいは海岸で急に温泉が吹き出すなど前兆現象がみられました。1月12日に始まった噴火で溶岩が大量に流れ出し、5つの集落が溶岩流に埋没、3つの集落が火砕流で消失し、噴火前約2万1千人のうち約半数の島民が移住を余儀なくされました。また、大量の溶岩は当時の瀬戸海峡を埋めて大隅半島と桜島を陸続きにしました。 犠牲者58名、負傷者112名、焼失家屋2268戸と記録されています。
鹿児島市城山から見た噴煙(大正3年)
鹿児島県立博物館所蔵
桜島西部を流下中の溶岩流(大正3年)
鹿児島県立博物館所蔵

噴火後の変化と状況写真
昭和の噴火は、南岳南東の海抜750mの地点から噴火が始まり、溶岩が流出しました。この噴火は5月まで続き、溶岩によって2つの地区が埋没しましたが、大正噴火のような激しい軽石の噴出はありませんでした。
昭和58年12月の噴火
昭和62年火山雷を伴った爆発的噴火噴煙
撮影:京都大学防災研究所附属
火山活動研究センター
爆発に伴う噴石は、地上に落ちても高温状態を保っているため、山火事を引き起こすこともあります。
工事現場にも頻繁に飛来
昭和61年11月25日、古里温泉へ飛来し、2.5mに及ぶ噴石がホテル1階玄関の屋根を突き破り、地下室床へ達する
噴石の飛来