国土交通省 九州地方整備局
目的別検索
九州地方整備局 建政部
トップページ 概要 国営公園 都市行政 住宅行政 建設産業行政 事業認定 リンク集
トップページ > 都市行政 > 下水道 > 下水道の歴史〈日本編〉
都市計画
下水道
公園
街路
区画整理
市街地再開発
都市再生整備計画事業【旧まち交】
暮らし・にぎわい再生事業
都市行政
下水道
前のページに戻る 下水道のトップに戻る 次のページに進む
下水道の歴史〈日本編〉
日本では、昔からし尿を農作物の肥料として用いており、ヨーロッパのように、し尿を直接川に流したり、道路に捨てるということはあまりありませんでした。
しかし、明治時代になって、人々が東京などの都市に集まるようになると、大雨によって家が水に浸かったり、低地に流れないで溜まったままの汚水が原因で、伝染病がはやったりするようになりました。そこで、明治17年(1884),日本ではじめての下水道が東京で作られました。その後、いくつかの都市で下水道が作られたものの,全国に普及することにはなりませんでした。
本格的に下水道が整備されるようになったのは、第二次世界大戦後、産業が急速に発展して、都市への人口の集中が進んでからのことです。また、産業の発展に伴い、昭和30年(1955)頃から、工場等の排水によって河川や湖沼などの公共用水域の水質汚濁が顕著となりました。そのため、昭和45年の下水道法の改正により、下水道は町の中を清潔にするだけでなく、公共用水域の水質保全という重要な役割を担うようになりました。
年号 主な出来事
奈良時代
平城京に下水きょができる。
平安時代
野玄式便所(日本式水洗トイレ)が高野山にできる。
安土桃山時代
大阪城下町に下水道ができる。
し尿の農業利用:イメージ
し尿の農業利用
し尿は、むかしはとても大切な肥料で江戸時代には、ほとんどすべてのし尿が農村で使われてました。
明治時代
5〜8年
(1892〜1875)
銀座大火ののち街路の下水設備ができる。
12年(1879)
コレラの流行
17〜18年
(1884〜1885)
東京神田に汚水排除も含めた近代下水道ができる。
東京の神田下水:イメージ
東京の神田下水(明治時代)
日本で初めての汚水を流すための本格的な下水道が、つくられました。管の形はヨーロッパ式の卵型でした。
33年(1900)
下水道法が制定される。
大正時代
11年(1922)
東京の三河島処理場運転開始。わが国最初の処理場であり,散水ろ床法により処理した。
日本最初の処理場:イメージ
日本最初の処理場…三河島処理場(大正時代)
日本最初の処理場である三河島処理場が大正11年に運転を始めました。レンガづくりのとてもめずらしい建物で当時評判になりました。
昭和時代
5年(1930)
わが国最初の活性汚泥法による処理が名古屋で始まる。
33年(1958)
新下水道法が制定される。
36年(1961)
第1回全国下水道促進デー実施。(以後現在まで、毎年開催)
38年(1963)
第一次下水道整備五箇年計画始まる。(現在は八次計画実施中)
40年(1965)
複数の市町村にまたがって整備される流域下水道工事着手。(大阪府寝屋川流域下水道)
45年(1970)
下水道法の一部改正(公害問題の顕著化に伴い,「公共用水域の水質保全」を下水道法の目的に加える。)
50年(1975)
農村で行われるものや自然公園などの環境を守ることを目的とした特定環境保全公共下水道事業が創設される。
平成時代
5年(1993)
下水道事業実施市町村の割合が5割を突破
6年(1994)
下水道処理人口普及率が50%を突破
前のページに戻る 下水道のトップに戻る 次のページに進む
上に戻る
Copyright (C) 国土交通省 九州地方整備局 All Rights Reserved.
 閲覧環境・著作権・プライバシーポリシー(個人情報の取扱い)等について