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田代宿(鳥栖市)は、対馬藩の飛び地だった田代領の宿場で、昌元寺町、新町、上町、下町、外町の五町からなっていました。北東の出入口には日田彦山道へ分かれる道しるべとして追分石が置かれ、外町には久留米道へ分かれる追分石が置かれていました。
田代宿に入って少し行くと、八坂神社が見えてきます。この辺りには昔の街道の面影が残っています。
江戸時代には荒木屋・長崎屋・竹屋など、多くの旅籠屋(はたごや)が並んでいたということです。 ほかに高札場(※今でいう官報掲示板)、藩校の東明館、上使屋(大名の休憩・宿泊所)などもありました。対馬藩の代官所もあり、現在の田代小学校の校庭に建っていたということです。かつてこの代官所では、対馬藩から派遣された代官が領政の実務を行っていたのです。上使屋は代官所の西隣にありました。
田代宿は商業が発展し、市が立って、野菜・塩・木綿・茶・紙・煙草などが売られ、筑前や筑後からも品物が入ってきたといいます。蝋(ろう)屋、油屋、酒屋、売薬など20業種が藩の許可を受けて営業していました。
なかでも、売薬は藩の積極的な奨励で広まり、行商が盛んに行われました。田代売薬は富山、大和、近江売薬と並んで四大売薬の一つでした。田代売薬が興ったのは藩政時代に朝鮮貿易を独占した対馬藩に大陸の医学療法が伝わったことと、交通の要衝だったことによると言われています。ここから日本各地に薬が売り歩かれ、今日の製薬業をこの地に生み出す元となったのです。 |
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