223 笛水(ふえみず) 都城市高崎町 
大淀川中流左岸と岩瀬川下流右岸に挟(はさ)まれて位置し、両川は北東で合流する。以前は水量も多く激流であり、岩に激しくぶつかる水音と風の混じり合う音がいかにも笛の音のように聞こえたことから笛水の地名が起こったという。昔は険しい深山で人も入り込まない奥地であったという。狭い谷間に人家と耕地が散在し、人口も少なく僻地(へきち)指定校の笛水小・中学校周辺が地区の中心地になっている。川の水量は多く、下流には岩瀬ダム(昭和42年竣工)と大淀川第一発電所が建設され、そのダムの貯水池として川面はおだやかであり、釣り人も訪れている。
笛水地区



224 福島(ふくしま) 宮崎市
寛文2年(1662)の大地震以前は、大淀川右岸河口近くにあった延岡藩の村。村人は大地震で村が海没したので、上流の延岡領内今江(今の福島町)に移った。その後、海没した所は土砂が堆積して島ができ、元禄5年(1692)幕府領となった。宝暦年間(1751〜1764)同じ幕府領であった吉村(宮崎市)の甚兵衛を、島番としてこの島に移住させた。明治初期に田吉村となった。現在、大淀川河口近くに福島の地名がある。島から起こった地名である。
福島町



225 船塚(ふなつか) 宮崎市  
『日向地誌』には「宮崎神宮の後ろにある山陵を、地元の人はその形から船塚山と呼び、神武天皇の御船を埋めた場所とか、東征の際に御船を繋(つな)いだ場所と呼んでいるが、盲説なり」と記されている。その真偽はともかく、宮崎神宮内の船塚古墳が地名の由来であるとされる。地質調査によって、はるか昔は宮崎神宮付近も海や川であったとされるが、神武天皇の存在は明らかではない。


226 麓(ふもと) 都城市山之口町
奈良・平安時代の官道、日向16駅の一つ水俣駅(みまたえき)があったのはこの麓地区だといわれている。救仁駅(くにえき〜田野町七野〜)に向かう険しい青井岳(あおいだけ)山中の入り口であるから山之口の地名が付けられた。薩摩藩時代から、ここに地頭館があったので府本(ふもと)といわれていた。それが麓となった。同じような所が高崎麓で、学校名は山之口は「麓小学校」、高崎は「高崎麓小学校」として区別している。
水俣駅跡六十田付近

国重要無形文化財指定
「山之口麓文弥節人形浄瑠璃(ぶんやぶしにんぎょうじょうるり)」(人形の館)
この麓地区に伝わる一人づかいの人形芝居「文弥人形」が1995年国の重要無形民俗文化財に指定され、人形の館も建設されて、定期的に毎年上演され多くの観客が訪れている。
人形浄瑠璃 地頭館跡の人形の館



227 麓(ふもと) 宮崎市高岡町 
フモトとはフミモトすなわち山をフミ始める所、山のモト(ハジマリ)の意味だという。ここは山に囲まれた自然豊かな所で、文字通りその「ふもと」に位置する。昔は城南と呼ばれていた。穆佐城(むかさじょう)の南に位置し穆佐地区の中心として栄えた。城の麓にあるので麓と呼ばれるようになったと思われる。
穆佐城跡



228 麓(ふもと) 高原町 
麓は、郷の中心をなす城山の麓のことである。薩摩藩では、鹿児島の鶴丸城の外に、領内の要地に102の外城(とじょう)を置いた。外城と言っても城郭(じょうかく)があるわけではなく、地頭仮屋を置いて、その周囲に武士集落をつくり、そこを麓と呼んだ。麓は、屋敷割がなされ武家屋敷が並んでいた所であった。


229 麓(ふもと) 小林市須木 
旧薩摩藩領には多数の麓がある。かつての須木城(松尾城・鶴丸城)の城山を中心として麓と呼ばれた。


230 古城(ふるじょう) 宮崎市 
伊満福寺(いまふくじ)に連なる山の尾根に、曾井(そい)城が築かれる以前から城があった。新しい曾井城に対して古い城、つまり古城といったことから村名なった。明治初期にはその城跡に9戸の人家があったということから、その城は早い時期に廃棄されたと思われる。
古城跡

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