203 野首(のくび) 宮崎市 
瓜生野に野首下のバス停があるが、これは野首という土地の下という意味であり、地名ではない。野首との表現からか、かつてこの地に首切り場があり、さらし首にしていたとの噂もあるがその史実はない。地名としての「首」は野山の細くなっている土地をさす。同地は裏手の台地が首のように細くなり、県道宮崎須木線に沿って再び小台地を形成している。まさに野首である。
類似の地名は、佐土原に野久尾(のくび)、高鍋町に野頚(のくび)があり、小林市に野頸城跡がある。
野首の地形



204 野尻(のじり) 野尻町 
霧島山系から下ってくる大淀川の流れに沿って、高度は低くなる。山系の末端の野原なので野尻と言われたというが、『延喜式』にも出てくる古代日向16駅の一つで、古くから開けていたと思われる。これには「野後」(のじり)と記され、野の終わりの意味だろうと解されている。土持氏は恩賞として緒方次郎=野尻次郎に野後を与えたといわれるが、その地名を自分の姓野尻に改めたといわれている。野尻町には、紙屋(かみや)・東麓(ひがしふもと)・三ヶ野山(みかのやま)の三つの大字(あざ)名がある。
大淀川支流の岩瀬川に「オオヨドカワゴロモ」の自生地がある。

『延喜式』 平安時代にまとめられた国の儀式や制度などのきまりごとを記した規則集。延喜年間(901〜923)につくられたので、延喜式という。
式とは、ものごとの施行規則のこと。

オオヨドカワゴロモ自生地 
大淀川の支流岩瀬川にしか生育していない稀少(きしょう)植物である。カワゴケソウ科の一種で河川の急流に張りついて成育する水生の顕花(けんか)植物。かつてはカワゴロモと同種と考えられ、岩瀬川がカワゴロモ最北限と考えられてきたが、新種であることが平成11(1999)年に分かり「オオヨドカワゴロモ」として発表された。大淀という名の付いている生物としては珍しい。ちなみに「広辞苑」には「カワゴケソウ」として「南九州の深山の急流の岩上に生ずる。きわめて稀産(きさん)。」とある。

内場仏飯講の碑(うちばぶっぱんこうのひ) 野尻町  
「内場(うちば)」とは霧島盆地にある里、つまり西諸県、北諸県、大隅地方の総称である。「講」とは同宗同門の団体(具体的には浄土真宗の信者団体)のことで「仏飯」を捧げ、そのお下がりを食べたことから仏飯講とも言われている。
藩政時代の250年を通じて、島津氏はその領地全域の浄土真宗(一向宗)の信仰を禁止したが、この地方はそれ以前に「薩州内場仏飯講」の講名と秘宝の二尊仏絵像を永正10年(1513)本願寺からもらったと伝えられている。寛政10年(1798)には弾圧の手が全体に及ばぬように講を三つに分けたといわれる。秘密のうちに集まり、浄土真宗の念仏を唱えたので、古来かくれ念仏と言われ、この顕彰碑は昭和16年5月5日に一番組子孫によって建てられ、昭和56年9月8日町指定史跡となった(場所は野尻町大字三ヶ野山南八所)。
内場仏飯講の碑


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