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 24. 本庄(ほんじょう)川

小林市堂屋敷から大淀川に合流する延長53kmの1次支川。本庄は法華嶽山系に続く台地の上にあり、昔、斉衡(さいこう)2年(855)には諸県(もろかた)の本拠地の庄であった。『宮永家文書』。近世江戸期には、大淀川の流域を治めることが大切になり、日向の四藩を本庄川の両岸に配置し、互いに監視するようにした。しかし、川を使った輸送は近隣の生産物を赤江港まで運び、更に上方(現大阪)まで届けて売り、帰りにいろいろな商品や文化を持ち帰った。この川を人々は本庄川というようになった。

 24. 綾南(あやみなみ)川=〔本庄川〕

小林市須木北部の山中から流れ久瀬川・袋谷川などが流入する。小野湖、綾南ダム(昭和33年(1958)竣工)を経て、綾南川V字渓谷を南流東流し、国富町森永にて綾北川と合流する。小林市須木では南川という。延長約35kmの1次支川。昭和44年(1964)4月河川法の改正により本庄川に改称されたが、綾町では今も綾南川という。川名は「綾の南側・南俣村を流れる川」の意味であろう。江戸時代の薩摩藩では綾川(綾の南川と北川)のアブリ鮎(黄金鮎)を藩内第一の佳品(かひん・すぐれた品物)として徳川将軍に献上(けんじょう)していたという。


 柳瀬(やなせ)橋

本庄川が大淀川に合流する所に有田橋とほぼ直角に交わるように造られている。ここは洪水になった時、二つの川の水が重なり合って盛り上がり橋を持ち上げて、浮橋の状態となり、人も車も通行途絶となった。また上流からの流木も多く、寄り集まって橋を押し倒したりした。倉岡側の柳瀬地区の人々は孤立してしまうことも度々であった。昭和38年(1963)に念願がかなって永久橋が完成した。後に自転車・歩行者専用橋が川上に作られた。この川口には柳の木が数多く自生していることから柳瀬の地名があり、柳瀬橋の名前が付けられたといわれている。

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 本庄川(ほんじょうがわ)橋

本庄川橋は、平成16年に宮崎自動車道路の一部として造られ、宮崎市の倉岡地域と対岸の大瀬町を結ぶ鉄橋が開通した。現在まだ工事中の区間、未着工の区間などが多く全線開通がまたれている。
国土交通省の計画になる高速自動車道等の大きい川をまたぐ橋には、「○○川橋」と川の名前のおわりに橋の字を書き入れるようになっている。

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 本庄(ほんじょう)橋

国富町本庄は古代において、諸県郡の中で最も繁栄をきわめた地域で、「斉衡(さいこう)2年(855)、本庄と改む(日向国史)」と伝えられている。町の所々には約50基もの古墳が残っている。また江戸時代には、町の下を流れる本庄川に船着場があり、川船での運送が行われていた。町の名が川の名となり、そして橋の名になったのである。1926年には最初の本庄橋が架けられ、渡し舟や帆かけ舟が活躍する時代は終わった。

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 森永(もりなが)橋

盛り土が長く続いているような地形の所を「もりなが」と呼び、地名が橋名になったといわれている。綾北川と綾南川は森永地域に入って合流し、川幅も広くなり、水深もあったので、昭和47年頃まではコンクリートの「沈み橋」が造られていた。大水が出て沈み橋が危なくなると、川向こうの向高地区の小学生は川上の綾の橋を通って早退した。翌日は休みになるので、森永・竹田地区の子供達はうらやましがったそうである。現在の永久橋は昭和48年(1973)に完成した。橋の長さは約350mあり、大変長い永久橋である。

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 元町(もとまち)橋

綾盆地東南部の綾南川(本庄川)のもっとも下流に架かる橋で、一般県道354号南俣宮崎線が通る。明治31(1898)年4月綾村に初めて欄干(らんかん)付き木橋の八日町橋が開通した。村人たちがわざわざ見に行くほど珍しいものであった。大正10(1921)年7月綾北発電所が運転開始の時、電灯一個が設置された。昭和14年(1939)3月に永久橋になり、昭和37年(1962)11月の架け替えの時に元町橋と改名された。長さ約88.6m、幅約4.5m。現在の元町橋は平成8年8月竣工、長さ約100m、幅約10m。橋名の八日町も元町も江戸時代から栄えた集落で、昭和の始め頃までは綾村の表玄関口であった。今はその面影もない。
八日町は八の付く日に蔵(くら)の出し入れが行われたことにちなむ。江戸時代には薩摩藩の米蔵があった。元町は元からの町の意味で、綾営林署の貯木場や商店の支店などもあり、山の産物を積み出す船が発着して賑わったという。

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 三本松(さんぼんまつ)橋

綾町中心部(役場)から南へ約500mほど行った所の綾南川(本庄川)に架かる橋で、町道114号南麓・三本松線が通る。現在の永久橋は昭和63年(1988)3月の竣工で、長さ約157m、幅約29.4m。橋名は地名の三本松にちなむ。三本松は右岸の小高い原野に三つのまたになった松の大木、あるいは三本の松の大木があったことによる。かつての三本松は町有地で萱切場(かやきりば)や採草地(さいそうち)であり、学校の遠足にとても良い場所であった。

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 綾南川(あやみなみがわ)橋

綾町中心部(役場)から西南へ2kmほど行った所の綾南川(本庄川)に架かる橋で、一般県道358号高岡綾線が通る。昭和23年(1948)6月木橋が架かり、昭和28年8月に一部永久橋になった。昭和38年(1963)3月堤防工事の時に架け替えられて永久橋になった。長さ約134m、幅約6m。上流側(西側)に隣接して綾南側道橋が平成3年3月に竣工した。橋名は川名にちなむ。江戸時代から宮ノ谷の渡しに渡し場や一本橋があり、渡し守りがいた。地元では集落によっては宮ノ谷橋・向川原橋・中川原橋ともいっていた。本庄川は森永付近で二つに分かれる。北を綾北川、南を綾南川という。

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 上畑(うわばた)橋

綾南川(本庄川)が平坦な綾盆地に出てきた所に架かる最初の橋で、主要地方道26号宮崎須木線が通る。橋名は小字名の上畑にちなむ。上畑は下の畑に対する地名であろう。昭和9年(1934)11月に木橋が架かり、昭和14年(1939)6月に永久橋になった。現在の橋は昭和63年(1988)7月の竣工で、長さ約113m、幅約10m。昔は現在の橋より200m下流に幅1m位の板橋があり、板が流れないように針金でつなぎ合わせて、榎(えのき)の大木にくくりつけてあったという。

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 綾の照葉(あやのてるは)大吊橋

綾町中心部(役場)から北西へ約9kmの綾南川V字渓谷に架かっている。九州中央山地国定公園(昭和57年5月15日指定、2455ha)の一部である日本最大級の綾の照葉樹林(2000ha)と綾南川V字渓谷の広大な景観を眺望(ちょうぼう)することができる。長さ約250m、水面から高さ約142mの歩行者用大吊橋で、昭和59年(1984)3月の竣工。建設費1億2千万円。大吊橋の渡り口の手前を右に行くとすぐに照葉樹林文化館(昭和63年(1988)3月竣工)がある。大吊橋を渡って渓谷をさかのぼると全長約2kmの遊歩道があり、照葉樹林の生態や森林浴を楽しむことができる。途中に長さ約75mのかじか吊橋もある(ここから右岸)。
平成20年3月照葉樹林のうち特に原生林の多い約1167haが、日本の代表的原生林の保護を目的とする「森林生態系保護地域」に指定された。全国で29カ所目、県内では平成2年指定の祖母山・傾山・大崩山周辺に次いで2ヵ所目である。平成17年以来官民5団体による「綾川流域照葉樹林帯保護・復元計画(綾の照葉樹林プロジェクト)」が進められている。50年〜100年後には6000ha以上の世界に比類のない広大な回廊状(かいろうじょう)の照葉樹林地帯が出現する。

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 宮の瀬(みやのせ)橋

『日向地誌』には、「宮の瀬板橋」とあり、宮の瀬の地名は当時からあったことが分かり、地名から名付けられた橋である。

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 新夏木(しんなつき)橋

夏木集落に新たに架かった橋である。夏木橋に対して新夏木橋と名付けられた。集落名が橋の名となっている。

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 吐合(はきあい)橋

川の合流点を、一般的に吐合(はきあい)という。ここは本庄川と九瀬川(ここせがわ)の合流点にかかっている橋であるから、地形から付けられた名称と考えられる。

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 夏木(なつき)橋

本庄川の上流で、ここはかつて上記の川の合流点でTの字形となっているので、釘に似ているところから、釘水流(くぎづる)と呼ばれていた。その後夏木と呼ばれるようになり、この地名から夏木橋と命名されたと考えられる。そのいわれは不明である。

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 倉谷(くらたに)橋

本庄川の支流の上流に倉谷という地名がある。その地名からきたものといわれる。

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 鳥梓木(ちしゃのき)橋

高原町には、血栓木と書き、小林市には売子木と書いていずれも、「ちしゃのき」と読む地名がある。その意味や漢字の由来については、いずれもはっきりしない。ここの「ちしゃのき」は、この地域にある程度生えていたというチシャノキ(萵苣の木=ムラサキ科落葉高木)に由来すると考えられる。この木は花が柿の木に似ているので、カキノキダマシともいうという。
小林市では、餅をつく杵(きね)をチシャノキで作ることがある。もちろんすべての杵が、そうではないが、かつて地元の人にチシャノキで杵を作ってもらったことがある。この橋の名の「ちしゃのき」は、それに違いないと考えられる。
林業関係者や地元の古老に尋ねてみると、間違いないだろうといっている。多くあった木(チシャノキ)の名が地名となり、それが橋の名となったものであろう。このような文字を使うようになった理由は不明である。他のちしゃのきの地名と同様に当て字なのであろう。

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 梅の木(うめのき)橋

地元古老の説では、近くに大きな梅の木があったので地名となり、それから付けられたのであろうという。明確にはわからない。

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 橋架谷(はしかけだに)橋

橋架谷(はしかけだに)に架かる橋であるから、地名から付いたものと思われる。
橋架谷とは谷に架けた橋からきた地名であろう。

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 六反田歩道(ろくたんだほどう)橋

綾盆地西南部の酒泉の杜の南側を流れる綾南川(本庄川)に架かる歩行者用吊り橋である。平成7年8月の竣工、町道462号宮谷・六反田線の終点にある。かつては一本橋があった。宮ノ谷歩道橋とも水の郷(さと)ほたる橋ともいう。長さ約98m、幅約1.8m。橋名は小字名にちなむ。
六反田はかつて右岸のやや上流に6段ほどの田地があったことにちなむ。今は杉林になっている。また、宮ノ谷は「お宮のある谷」の意味で、今も元宮神社が祀られている。

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一般的に地名が橋の名のもととなっていることは、今までに見たとおりである。しかし、出雲橋から石鎚橋にいたる8つの橋はすべて平成5年から7年の間に作られ、地名とのつながりを見出すことはできない。時あたかも、日向(ひゅうが)を(ひむか)と称し始めたころと時代を一にする。架橋した関係機関の話し合いによって、おそらく名付けられたのではないかと考えられる。命名の理由ははっきりしないが、地図を見ると、これは本庄川上流の橋のみにみられる現象のようである。

出雲(いずも)橋 丹沢(たんざわ)橋 日向(ひむか)橋

秋月(あきづき)橋 筑波(つくば)橋

有磨(ありま)橋

千里(せんり)橋 石鎚(いしづち)橋  
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