綾北川のもっとも下流、国富町森永から綾町に入った所に架かる大きな橋で、主要地方道26号宮崎須木線が通る。明治35年(1902)に宮崎−綾間の県道ができた時は、現在の橋の約50m上流に渡船場があった。その後、木橋が架けられ、大正10年(1921)7月綾北発電所の運転開始の時に、電灯一個が設置された。馬車は荷を空にしなければ通れないほどの橋であった。その後補強されたが、昭和の初め頃はバスが通ると揺れるほどであった。昭和15年(1940)10月永久橋になった。現在の橋は昭和54年(1979)3月の竣工で、長さ約130m、幅約12m。
橋名は小字名にちなむ。久保は窪の当て字で、川久保は「川沿いの窪地」の意味である。この辺りは、綾北川が森永の平城の直ぐ下辺りを流れていた頃、深くえぐられ河跡湖になっていたせいで、かなり低地になっていた。そこで地域の人々はこの辺りを川窪(かわくぼ)と呼んでいた。 |