都城市コミュニケーションセンター東川道路を、南へ下り坂を下りかかったところで川に架かる短い小さな橋である。以前は木橋であったが、昭和54年(1979)に今の永久橋に架け替えられている。橋名の由来については、かつて江戸末期に都城領主島津久倫(ひさとも)に仕えた北郷新太郎(ほんごうしんたろう)という武士に関係するという。若いときから江戸の昌平校(しょうへいこう)に学び、また、剣は天神流剣法の達人といわれ、33歳のときには老臣(家老職)に任命されるなど優れた家臣であった。近くの姫木山(今はつぶされ図書館等が建設されている)の麓に居住(屋敷跡あり)していたことから、いつしか地元では新太郎橋と称するようになったという。今でも市役所等に行くのに活用されている。 |