水路橋は文字通り水だけを流す幅50〜60cmのヒューム管でつくった橋である。今は使われていないが、東児湯青果市場から、その西の樋渡(ひわたし)にいたる畑作地帯が「もひろげ」である。歴史的にみると興味深い。「地名は生きた化石のようなもので大事にしなければならない」とは、高鍋史友会会長だった故・石川正雄氏の言葉である。氏の『たかなべ地名の由来』を引用する。
「昔、朝鮮の百済(くだら)の王族であった福智王一行は内乱を避けてこの地に上陸し、潮に濡れた帆を広げたところから、「ほひろげ」といい、発音がなまって「もひろげ」になった。茂広毛、裳広解、藻広毛、毛比呂計とも書かれている」
現代になって現在のヒューム管製の橋が昭和43年(1968)頃つくられた。 |