スポット - 五ヶ瀬02
ここは手前に五ヶ瀬川、奥には岡富山を望む自然豊かなスポットです。
散策路は堤防上と水際にあり、それぞれ異なる景観を楽しむことができます。
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「畳堤」とは、大正から昭和にかけて造られたもので、高さ60cmの橋の高欄に似たコンクリート製の枠で上から見ると幅7cmの隙間があり、コンクリート製の枠に畳をはめこみ、越水を防ぐ努力をしていたものです。全国でも珍しい治水施設であり、住民自らが防災活動を行ってきた証ともいえる施設であり、現在では、地域の防災意識向上のシンボルとなっています。
慶長8年(1603年)に高橋元種が築いた延岡城の城跡で、本丸、二の丸、三の丸からなる宮崎県を代表する近世城郭です。頂上の天守台跡地には鐘つき堂があり、今もなお鐘守の手によって時が告げられています。また、城山には約250本の桜があり、花見の時期には灯りがともされ夜桜が楽しめます。
延岡上西ノ丸(延岡藩最後の藩主内藤家御殿)跡に建築された内藤記念館には、先土器時代の土器から延岡藩に伝わる貴重な資料、能面、書、絵画のほか、大正、昭和期にかけての生活道具まで、延岡の歴史が分かる貴重な資料が展示されています。
岡富中学校南側の道沿いに全長100メートルを越えるカラミレンガの塀が続いています。カラミレンガとは、銅を精製する時に出る不純物を固めて作られるものです。この地域の戦災と火災に耐え、大正初期に作られたレンガ塀が今もなお残されています。
現在の延岡市北方町曽木子にある慈眼禅寺(じげんぜんじ)の僧・胤康(いんこう)が獄中死したことを偲んで建てられた石碑。当時、胤康は勤皇の志をもって倒幕と日本の改革を夢見ていましたが、反幕府の思想を持っていたことで捕えられ、無念の獄中死をとげました。それから2年経ち、胤康が夢見た天皇親政の明治政府が樹立したそうです。