秋社川に架かる大橋である。紙屋の名は、元は神谷(こうや)氏から起こり、豊後国(ぶんごのくに)の流れを汲(く)む緒方氏が移住し、紙屋と号したので紙屋となった。 曲がりくねった未舗装の旧道は、時間と安全を守るため漆野地区を抜ける道路に代わり、このバイパスが直線に近くなった。合わせて紙屋小学校から見下ろされるようになった。紙屋新町と下漆野地区に通じる谷をまたいで建設された。この橋のおかげで、小林と宮崎間が大きく短縮され、便利になった。さらに側道橋が架けられている。
見落とされがちだが紙屋大橋と連なる小さな橋黒谷川に架かる「石切橋」がある。この橋下の川に降りるのに急勾配(きゅうこうばい)の坂で苦労があった。 |