宿場町MAP | 田代宿~轟木宿 |
---|
轟木宿(鳥栖市)は鍋島藩領の東端にある宿場町で、上町、中町、下町、新町の四町からなっていました。対馬藩領とは轟木川を境にして分かれていました。江戸時代の記録には、「人家140軒ばかり、宿屋・茶屋多し」と記されています。
轟木川は対馬藩では西郷川、鍋島藩では番所川と呼ばれていました。川の西岸の轟木宿の入口に旅人の荷を改める藩の番所があったからです。二重鎖国体制を取っていた鍋島藩は、番所に侍1人と足軽9人を置いて、出入りする旅人を厳しくチェックしたということです。幕府は貿易統制を行っていて、抜け荷(密貿易)が国内に流通することを警戒して、黒田藩と鍋島藩に1年の交代制で長崎警備を命じていました。轟木宿の番所の荷改めは抜け荷を警戒する意味もあったのでしょう。
轟木宿には御茶屋(大名や幕府の要人の宿泊・休憩所)があり、角屋、戎屋、松屋、柳屋など13軒の旅籠屋が並んでいました。ほかに大工や鍛冶屋の店も軒を連ねていたそうです。
番所川を渡り、少し行くと右手に静かなたたずまいの日子(ひこ)神社があります。旅人はここで旅の無事を祈りました。神社の境内には肥前石工がつくった独特の形をした鳥居が今も古めかしい姿を見せています。日子神社の鳥居の左手には制札場(=高札場)があり、幕府の法令を掲げていました。伊能忠敬はこの制札場を長崎街道測量の基点にしています。 |
|
|
|
手前の宿場町「田代宿」へ(小倉方面) | 次の宿場町「中原宿」へ(長崎方面) |