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当時をよく知る宮成英昭さんは・・・

現在、しもうけ館のボランティアスタッフとして、土・日・祝日に、館内の案内をしている宮成英昭さん(日田市中津江村在住)は、蜂の巣城の攻防の時期、大学を卒業し、小学校教諭になったばかり。学校の授業として、下筌ダムを訪れることも多かったそうです。

(宮成さんのお話)
日田市中津江村在住の宮成英昭さんは、蜂の巣城の攻防の時期、大学を卒業し、小学校教諭になったばかりでした。学校の授業として、下筌ダムを訪れることも多かったそうです。そんな宮成さんに、当時のお話を聞くことができました。
「社会科の授業で、子どもたちと、身近なところにできるダムについて一緒に考えていきました。その中で、水没する村の人への聞き取り調査を行ったことがあります。
松原ダムの手前の集落、室原さんもおられた集落ですね。そこに子ども達と一緒に行き、家を1件、1件訪ねるのです。「先祖代々守ってきた土地を自分の代で水没させるのは申し訳ない」「田畑がなくなったら生活が成り立たないから代わりの田畑がほしい」「移住地さえあれば反対しない」などの意見を子どもたちが自ら聞き、「少人数の村の人が優先か、国が優先か」「下筌ダムをつくることについてどう思うか」などの意見をみんなで出し合ったものです。「自分は国の立場がわかる」と言う子どももおれば、農業の子は「うちのことを考えると、やっぱり反対」と言ったり。どちらがいい、悪いという結論は出ない問題ですが、子ども達なりに、当時の社会事象をしっかりととらえ、自分の頭で考えるということをやってほしかったのです」
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