薩摩川内市

大小路緑地公園

大小路地区引堤事業は、薩摩川内市街部の治水安全度の向上を目的とした河川改修事業の一環として平成23年度に着手し令和2年度に完成しました。引堤と合わせて都市計画道路の整備や鉄道橋梁の一部架替・補強等を実施しています。

大小路地区かわまちづくり整備事業は、引堤事業で拡大された河川敷をピクニックや地域イベント等の市民の憩いの場として利活用できる水辺空間として整備したものです。地域住民の皆様と意見交換を重ねて整備し令和3年度に完成しました。


大小路緑地公園。5月には、鯉のぼりが彩ります

広々とした河川敷

様々なイベントが行われます

渡瀬口

渡唐口
 

川内川宮里公園

大小路地区引堤事業は、薩摩川内市街部の治水安全度の向上を目的とした河川改修事業の一環として平成23年度に着手し令和2年度に完成しました。引堤と合わせて都市計画道路の整備や鉄道橋梁の一部架替・補強等を実施しています。

大小路地区かわまちづくり整備事業は、引堤事業で拡大された河川敷をピクニックや地域イベント等の市民の憩いの場として利活用できる水辺空間として整備したものです。地域住民の皆様と意見交換を重ねて整備し令和3年度に完成しました。


入口の看板

川内川河川敷に広がる公園

せせらぎ水路

サッカーやラグビーが可能な広場

様々なイベントやスポーツに活用されています
 

長崎堤防

川内市高江町の長崎新田は、かつて川内川の汐が流入する入江状の低水地で、ろくに米も採れない潟でした。第十九代藩主島津光久は、小野仙右衛門を普請奉行に任じ、この知の大規模な干拓工事を命じめした。

工事は延宝七年(1679)に着工し、約八年の歳月を費やして貞享四年(1687)に竣工しました。川内川左岸高江地区内のこの広潟は、周囲三里、堤防の長さ三六〇間(640メートル)、開発された新田の面積が約3万平方キロメートルにも及ぶ立派な水田に生まれ変わりました。

当時の工法は、そのほとんどが人力に頼り、その上、しばしば洪水に襲われ、築いては崩され、また築くという大変な難工事でした。仙右衛門は苦心の末、鋸の刃のような形の堤防を考案して、やっと川内川の激しい水流を抑えることができたと伝えられています。この鋸の刃状の突起部は七ヶ所あり、潮流の調整をなすもので、工学的に価値あるものといわれています。木曽川治水工事に先立つこと六八年前のことです。また、工事を監督した小野仙右衛門を祀った小野神社の下の崖には、仙右衛門が工事完成を祈って刻んだ「心」の文字が残っています。

この大きな困難と犠牲をともなった工事は、『袈裟姫伝説』としても語り継がれています。ある夜、「娘を人柱にたてよ。その流れに沿って築堤せよ。」と告げる不思議な夢を見た仙右衛門は、愛娘の袈裟を人柱にし、お告げのとおりに鋸の刃の形に堤防を築き、ようやく工事がうまくいったと伝えられています。


上空から見る鋸の刃のような形の長崎堤防

石碑

案内看板

長崎排水機場

当時の石積が残っています

近くでは漁も行われています

柳山アグリランド


柳山アグリランド山頂からはパノラマの風景が見渡せます。

風力発電と川内川河口の風景。
川内川あらしも見ることができます。

山頂にある霧島神社(霧島さぁ)

薩摩川内市を流れる川内川

天気の良い日は、桜島が見えることも!