人々の交流(2)

敵味方を越えた慰霊と平和への思い

1904(明治37)年、陸軍の御用船・常陸丸は将兵ら1千余人を乗せて中国へ向かう途中、玄界灘でロシアの軍艦に砲撃されて沈没した。長門市の通村は、流れてきた多数の遺体を丁重に葬った。翌1905(明治38)年には、30数隻からなるロシア・バルチック艦隊が対馬沖で日本海軍の連合艦隊と交戦してほぼ壊滅し、この時も、村では浜辺に漂着したロシア人兵士の遺体を手厚く埋葬した。現在も、この地区は常陸丸が撃沈された6月15日を慰霊日と定め、地元民が敵味方の別なく供養をしている。

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主な施設

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日露兵士の墓碑

長門市通の大越の浜に、常陸丸遭難者の墓碑(右)と露艦戦士の墓碑(左)が建立されている。

所在地:山口県長門市通
TEL:0837-23-1137(長門市観光課)
ホームページ:長門市
https://www.city.nagato.yamaguchi.jp/site/20161215kaidan/16752.html
交通:中国自動車道 美祢西ICから約60分