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塚崎宿(武雄市)には温屋を併設した本陣のほかに、長崎屋、三都屋といった旅籠屋がありました。
本陣は武雄温泉の朱塗りの楼門を入ったところにあって、大名や家老クラスの武士が宿泊していました。江戸中期に領主の専用風呂として作られた殿様風呂と呼ばれる浴場が今も残っています。殿様風呂の浴槽は江戸時代は木作りでしたが、明治期に白と黒の大理石の市松模様にリフォームされています。
武雄温泉を訪れた長崎オランダ商館の医師シーボルトは、「使節と我々は肥前藩主の浴場で入浴する許可を得た。木製の浴槽で、湯元から湯が運ばれた。その清潔さは驚くほどで、もともと水晶のようにすき通った湯を、前もって馬の尾で作った細かいふるいで漉すのである」と書き残しています。
脇本陣は楼門の前の平戸屋(現湯元荘東洋館)に置かれました。宮本武蔵は巌流島の決闘の後、平戸屋に滞在したと言われていて、ロビーの一角に武蔵が使った井戸が残されています。武蔵はここで「五輪書」の構想を練ったということです。脇本陣の向かいには代官所がありました。
街道らしいたたずまいを見せる新町には、幕末の医師で日本初の種痘に成功した中村涼庵の旧宅があります。涼庵は長崎でシーボルトの医学を習得し、天保2年(1831)武雄で開業して、武雄領主鍋島茂義の侍医となりました。
鍋島茂義は長崎でオランダ船を見学して西洋の進んだ科学に驚き、蘭学を積極的に導入したということです。 |
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