神埼宿

 

宿場町MAP 神崎宿

神埼宿(神埼町)の手前には街道の道しるべ、「ひのはしら一里塚」が残っています。慶長9年(1604)に幕府は日本橋を起点に主要な街道に一里ごとに一里塚を置いて目印とすることを命じました。神埼宿の一里塚は長崎街道の一里塚の中でたった一カ所現存している貴重なものなのです。当時の旅人はこの下でひと休みしたことでしょう。

神埼町一丁目の交差点で右の長崎街道からきた国道385号は直角に折れ曲がる。
  神埼町一丁目の交差点で右の長崎街道
  からきた国道385号は 直角に折れ曲がる。

ひのはしら一里塚
   ひのはしら一里塚
 

神埼宿。国道385号が横断する。左の塀は円楽寺。
  神埼宿。 国道385号が横断する。 
  左の塀は円楽寺。
円楽寺
   円楽寺
 

 神埼宿の東と西の入口にははね上げ式の木戸がついていました。入ってすぐ、右手に見えてくるのが円楽寺です。

中ほどには景行天皇の筑紫国巡礼の際に創建されたという櫛田宮が鎮座しています。櫛田宮は博多の櫛田神社の本家とされています。ここで2年に1度行われるみゆき大祭で人々の人気を集める締元行列は、参勤交代の様子を真似て取り入れたものだということです。櫛田宮の入口には石を組み立てた独特の形をした肥前鳥居があります。慶長7年(1602)の造立銘があり、佐賀県指定重要文化財となっています。

櫛田宮の近くには藩の迎賓館とも言える御茶屋がありました。その先にはシーボルトやケンペルなどの外国使節団も泊まった眞光寺、浄光寺などの脇本陣があり、そのほか宿内には高札場、駅馬問屋場などもありました。

櫛田宮
   櫛田宮

浄光寺
   浄光寺

眞光寺
   眞光寺

神埼では江戸時代の初期に一人の僧がそうめんの製法を伝えたということで、今でもそうめんは代表的な特産品となっています。

西の木戸口を出ると街道は城原川に沿って境原宿へと向かいます。

現在の街並
   現在の街並
西の木戸口跡
    西の木戸口跡

 

 

 

手前の宿場町「中原宿」へ(小倉方面) 次の宿場町「境原宿」へ(長崎方面)

ページの先頭へ戻る