北方宿

 

宿場町MAP 北方宿

江戸時代の旅人は旅籠屋がたくさんある塚崎宿(武雄)に泊まり、北方宿(北方町)は通過するだけのことが多い宿場町でした。

東構口の近くにある本陣(現稗田家)の建物は天保10年(1839)に建てられたもので、伊能忠敬も宿泊したという歴史があります。白壁の立派な建物は当時の構造を知る貴重な文化財です。

北方宿にはほかに問屋場、高礼場もありました。

江戸中期の寛延元年(1748)、北方では石炭が掘り始められました。石炭は大砲の製造や外貨獲得のために重要なものでした。街道には旅人に混じり、石炭を山積みした人馬も行き来していました。幕末の日本に駐在した初代イギリス駐日英国公使ラザフォード・オールコックは北方の炭鉱の様子を自著に残しています。

江戸時代の炭坑と六角川に浮かぶ石炭運搬船の様子は八幡神社に奉納されている絵馬に克明に描かれています。この炭坑絵馬は平成9年(1997)に北方町重要文化財に指定されました。

 

 

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