小田宿

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小田宿(江北町)を通ったオランダ東インド会社のドイツ人医師ケンペルは『江戸参府旅行日記』の中で「小田村の右手には、他の場所より見事な田圃があった」と記しています。

 

小田宿の中心部にある馬頭観音は古くから知られていました。この馬頭観音像は奈良時代に小田を訪れた行基が大楠に彫ったという伝説が残っています。そばに観音堂も建てられ、文政9年(1826)にはシーボルトも立ち寄り、画家のフレネーフェに馬頭観音像の細密な写実画を描いてもらっています。残念ながら観音堂は嘉永4年(1851)に火災で焼失してしまいましたが、平成10年(1998)に地区の人たちの尽力で再建されています。なお大楠は街の天然記念物に指定されて、大事に守られています。

 

鍋島藩主は大村領を通らずに長崎に行ける有明海沿いの多良街道を作りましたが、小田宿はこの多良街道と長崎街道の分岐点に当たります。

 

岩見屋は鹿島藩主が定宿にしていた旅籠屋。建物は取り壊されていますが、ここには今も県下で最も古い池園が残っています。

馬頭観音堂と楠
馬頭観音堂と楠

 

岩見屋に残る池園
岩見屋に残る池園

 

 

 

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