寛政三年十月八日〜閏二月下旬 | 寛政四年四月二日〜 | まとめ | ホーム |
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寛政四年 三月朔(さく)日〜 |
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■島原大変大地図の一部 崩壊 ■肥後国嶋原津波之絵図(熊本大学永青文庫 蔵) |
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三月九日 | ■三月九日(4月29日)深夜0時過ぎの強い地震をきかっけとして南北720m東西1080mの楠平が東方面へ滑り落ちた。滑落崖は90mもあるかのように見えた。山裾より滑り始め、2段に分かれて地すべりを起こした模様。 | ■島原大変大地図(島原図書館松平文庫 蔵) |
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三月中旬頃 | 楠平前面(東側)の今村地区の六助がふいごを吹いていたが、温度が上がらないため中をのぞくと割れ目があり、水が逆流しているのが見えた。 | ||||||
四月朔日 |
■四月朔日酉の刻(5月21日20時過ぎ)にM6.4(±0.2)の地震が発生(島原大変肥後迷惑)。これにより眉山(天狗山)が大崩壊し、島原城下町の南側を飲み込んだ。
■有明海沿岸に大津波が押し寄せた(半島北部では3波との記録がある)。 ■津波の水温は平時より高く、守山方面では「温み」程度、島原城下では「あつき」程度。 ■上の原の者がいた菜種の刈り置きの番屋がそのまま1500〜1600mも海中に押し出されていた。 ■立ち木を載せたまま山が滑った。 ■楠平の上、南のほうが割れ、安徳村は過半土石の下になり、中木場村も北の方が同じ被害を受けた。 ■松島と茸山の間の「小深り」は埋め立てられ、地続きになった。(押し出しのことを「山水」と用いている)。 ■眉山の東部は約1kmも海岸線が前へ出た。 |
■大変前島原市街之図(金井俊行氏写図,長崎県立長崎図書館蔵) ■上図より復元した町部海岸線
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参考文献 島原大変(製作:国土交通省九州地方整備局 雲仙砂防管理センター 編集:財団法人砂防フロンティア整備推進機構) |