田中 吉政

1547年近江国(現滋賀県)に生まれ、関ヶ原の戦(1600年)の殊勲により筑後32万5千石の領主となり、柳川城に居住した。筑後に入国して まず始めに、筑後10郡の庄屋百姓に、筑後川河畔にある葦野を開拓して耕地の拡張を命じ、自らも海岸埋立を企画し、汐土居の築堤に着手した。

また、筑後川の流れを深くして舟運の便をはかった。さらに国内各所の城壁を撤去し田畑にしたといわれている。その頃の筑後川沿岸住民は洪水のため 荒野となるのが悩みの種であった。そこで吉政はこの解決策として、善導寺町(現久留米市)から筑後川の水を引水し、高良山下を経て、三潴郡を横ぎり、山門 郡の塩塚川に注ぐ大運河を計画したが、計画なかばで逝去したと伝えられている。

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