今なぜ道守か

今なぜ道守か 「住民と行政の協働」の試み、九州発

「道守九州会議」代表世話人 樗 木 武 九州大学名誉教授 NPOみちしるべ会議代表理事

「道守九州会議」 代表世話人
樗 木 武
九州大学名誉教授
NPOみちしるべ会議代表理事

「道」は人(首)が行ったり来たりすることに由来する言葉です。「路」は足が各方面に向くことを意味します。つまり、道、路は人が基本であり、人あっての道であるということです。

道守は道の温故知新

この道について、1年余にわたり、多くの人たちと話し合ってきました。シンポジウムや討論会、情報交換の夜なべ談議などを通して、九州各地の活動や新しい動き、そして人々を知りました。道を掃き清め、道端で花を育てる人たち。街道や往還の歴史をたどる人たち。災害から道を守り、安全な通学の路の確保に励む活動。ウォーキングやランニング、サイクリングを楽しもうと道を慈しむ人々。いつしかそうした人たちを私達は「道守」と呼び始めました。

道守の 問はむ答を 言ひ遣らむすべを知らにと 立ちてつまづく(万葉集巻第四紀の国)

「道守」。それは人の魂を道に吹き込むものです。歴史を遡ると、万葉集に次の歌があります。(万葉集巻第四紀の国)

また、「古代の道守」は、旅人の飢えや渇きを癒そうと道沿いに果樹などを植えたともいいます。「道守九州会議」の発足はまさにその温故知新です。道守の源流に思いをはせながら、故きを温めて新しきを知る旅立ちであります。

「車重視」、「行政任せ」からの転換を

「みんなで心と力を合わせ、道をつくり、守る」「住民と行政が協働して道路を守り育てていく」。「道守九州会議」の設立趣旨は、わたしたちのこれまでの話し合いの到達点であり、新しい旅立ちの宣言です。

話し合いの過程で、「これまでは余りに車重視だったのでは」との反省が多く聞かれました。モータリゼーションと道路の整備が近代日本の産業経済の発展を、そして私達の生活にある種の豊かさをもたらしてきたことはだれも否定しません。しかし、失ったものもあります。道での人々の出会いと溜まり、子供達のはしゃぎ、お年寄りのそぞろ歩きや夕涼みなど。その喪失感の大きさ。いつとはなしに道を危険なものと考えるおかしさに気付き始めました。

国土交通省の「TURN道の新ビジョン」は、「いま舵を切るとき」と、くらしの道や人優先ゾーンの考え方への転換を打ち出しています。ここ1年余り続いた私達の民・官・学一体の論議そのものがそうした試みでありました。

その一方で、空き缶やタバコのポイ捨て、放置自転車、家の前のごみも「行政の責任で処するもの」とする傍観姿勢などの問題が、むしろ住民の側から浮き彫りにされました。

多彩な実践が先導役になる

これらの話し合いに光明を灯したのが九州各地の現代の「道守」たちの登場でした。シンポジウムや連絡会は回を重ねるごとに実践報告や意見が増え、その多彩さに私達だれもが目を見張りました。

清掃や除草、花壇づくりや植樹、道遊びの復活、歴史や自然の検証と保護活動、歩行者天国や通学の安全の確保、それらを複合させた地域づくりへの展開など。道の整備や道守に積極的な住民参加の事例もあり、行政の側からも「地域と行政が一緒になった取り組みが必要」と呼応しました。

まさに現代の道守活動それ自体が「住民と行政の協働」という私達の旗印を押し立て、ひいては道づくりの新しい基本理念になると確信するにいたったのです。

道の使い手であると同時に守り手にも

九州各地の道守のみなさんが話し合いに参加され、活発な意見交換が「もっと交流を」との機運を高めたことは言うまでもありません。これまで約30団体のみなさんが準備会に参加され、この度の「道守九州会議」の発足になりました。

国土交通省九州地方整備局の調査によりますと、九州の道守活動の団体・グループは400を越え、その参加構成員は7万人にも達しています。大変意を強くするところです。さらに多くのみなさんの参加と交流、連携が、それぞれの活動をより実りあるものにすると確信いたします。

ある道守の方の言葉を借りれば、「家を一歩出れば道であり、一人ひとりが道の使い手であると同時に守り手」であります。個人で、グループで、地域の実情や工夫、さらに歴史、文化に応じてより多彩に道を使い、道を守りましょう。この道守の心を九州から発信することで、その活動は全国に広がるものと思います。そんなことを予感しながら、「道守九州会議」発足を喜んでいます。と同時に、みなさんに、「道守九州会議」への参加を心から呼びかけます。

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