昭和28年6月の大洪水は、過去の出水を大きく上回わり、随所で破堤決壊して、筑後川全域にわたり惨たんたる災害をもたらし、なかでも原鶴地区の被害はじん大なものであった。
これを契機として改修計画の改訂が行なわれたが、当地区の計画高水流量 6,200 m3/sec に対し、現河道の流下能力は狭さく部のため 4,600 m3/sec程度であり、その対策としては種々比較検討された。検討の結果、水理、施工、工事費および観光地(温泉)としての環境を考慮して分水路により対処することになった。
用地取得は昭和43年度から着手し、先行取得によって同48年にはほぼ終了した。工事は同47年より橋梁工事に着手、昭和54年に分水路事業は完成した。
|
|