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| ■大野川と鶴崎の町の移り変わり | 
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| ■大野川流域の移り変わり | 
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 らんかんも橋脚もすべて木造で、橋には砂利が敷かれています。大野川にかかる白滝橋(当時大分郡判田村)の落成式には近郷の判田、戸次村の人たちが押し掛け、橋の完成を祝いました。渡り初めの人々が橋上にいます。  | 
        
        
 大野川から三佐へ通じる大分市小中島川には、明治から大正にかけて幾つかの造船所がありました。木造船が完成、大漁旗がひるがえり、付近の人が集まっています。  | 
        
        
 犬飼町で毎年行われる恒例の名物行事。地元はもちろん、近在からの家族連れ客の参加でにぎわっています。写真は昭和6年5月10日の第3回ドンコ釣り大会風景。船釣りの人、岸釣りの人、水の中に入って釣っている人もみられます。  | 
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 大野川に架かる鶴崎橋がようやく完成し、鶴崎と大在とが結ばれました。写真は、大野川で船遊びに興じる人びとです。  | 
        
        
 埋め立て直前の海岸。海苔の養殖も盛んな鶴崎でしたが、臨海工業地帯の造成によって、この風景はすでに遠い過去のものとなりました。  | 
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| ■昭和井路 | ■昭和井路の位置図
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| 大正15年の大干ばつで、下流域一帯は収穫皆無の状態となり大被害を受けました。これを契機に「昭和井路開削事業」が昭和17年に始まり、昭和32年に全域が通水。下流域1,500haを潤しています。この「昭和井路」により、下流域ははねつるべ等の労苦と干ばつによる被害の心配から開放されました。 | |||||
![]() 昭和井路(大野川18.2キロ付近)  | 
        ![]() 川辺ダム(三重町)  | 
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| ■舟運 | ■鶴崎地方藩別地図
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