中流域エリア2

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歴史的構造物

捷水路群(しょうすいろぐん)

捷水路群各所で蛇行していた筑後川は、洪水の度に湾曲部から氾濫。そのため、水がスムーズに流れるようにできるだけ直線的にする捷水路工事が藩政時代から行われていた。昭和に入って完成した坂口、天建寺、小森野、金島を筑後川の4大捷水路と呼んでいる。
(写真は坂口捷水路)

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副堤(控堤)(ふくてい ひかえてい)

副堤(控堤)本堤にほぼ平行してつくられた小堤防。本堤が切れた場合などに備えたもので、遊水効果を持っている。。恵利堰の下流、古川との合流部、柳瀬地区から唐島地区、巨瀬川下流部飯田地区付近に見られる。

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石浦大橋(いしうらおおはし)

石浦大橋久留米市大橋町の名前の由来ともなっている橋で、豊後街道が巨瀬川を渡る場所にあった。福岡県内に残る石橋では3番目に古く、元禄11年(1698)の架橋。一時解体されていたが、地域住民の要望によって、現在は復元され歴史公園に保存されている。

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草野又六碑(くさのまたろくひ)

草野又六碑久留米藩士。宝永7年(1710)の大干ばつをきっかけに、恵利堰、床島堰、佐田堰を地元の庄屋五人と築造。その功績により、大堰神社に合祀されている。胸像は、昭和40年(1965)、水利組合により草野町発心公園に建立されたもの。

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大堰神社(おおぜきじんじゃ)

大堰神社恵利堰、床島堰、佐田堰を築造し、大干ばつで水不足に苦しんでいた農民を救った草野又六と五人の庄屋の偉業をたたえて建てられた神社。毎年5月には水天宮祭が行われ、こどもの水難防止や豊作を願う農家の人で賑わう。

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輪中堤(わじゅうてい)

輪中堤洪水から集落を守るために、輪のように堤防をめぐらせたもので、筑後川では久留米市周辺をはじめ洪水常襲地帯の中流域にいくつかの輪中堤がみられた。輪中の建設は鎌倉時代から進められたといわれるが、現存するものは少ない。

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恵利堰(えりぜき)

恵利堰大石堰、山田堰とならび筑後川三大井堰と呼ばれている。正徳年間(1711~1716)の築造後、流失・修復を繰り返し、現在はコンクリート製。改修後の堰には、魚がスムーズに移動しやすいように、魚道が設けられている。

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霞堤(かすみてい)

霞堤不連続堤のもっとも代表的なもので、開口部が重複した堤防のこと。流れの速い川でよく用いられた。洪水は開口部に逆流することで勢いが弱まり、また、洪水を一時的に霞堤部分にため込むことで「洪水調整効果」を発揮した。また、上流部で氾濫しても、洪水は下流部の開口部から川に戻ることができ、その後には肥土が残るなど、自然をよく見て作られていた。

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堀川用水

堀川用水寛文2~3年(1662~1663)の大干ばつがきっかけで造成工事が行われる。その後、当時の庄屋古賀百工を中心に現在の位置に取水口を変更。岩盤をくり抜いた切貫水門に。現在も663ヘクタールの水田を潤している。

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朝倉三連水車

朝倉三連水車山田堰から引かれた水は、18世紀中頃につくられたこの水車の働きで、川より高い土地にも行き渡るようになり、朝倉地方の農業は飛躍的に発展したといわれる。平成2年(1990)7月、堀川用水とともに、国指定史跡に指定された。

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山田堰

山田堰流れが速いため、堰を作る工事は非常に苦労したという。試行錯誤の末、川を斜めにせきとめる方法で、寛文4年(1664)に完成。その後大改修が行われ、寛成2年(1790)にほぼ現在の形となった。洪水などで流失・修復を繰り返しながらも、現在もなお昔の面影をとどめている。近くに工事の安全と水難除けを願った山田堰水神社がある。

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長野水神社(ながのすいじんじゃ)

長野水神社大石堰の築造に功績のあった山下助左衛門をはじめとする5人の庄屋を祀る神社。毎年4月8日には、5人の庄屋をたたえる五霊社春の大祭が行われる。

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水制三種

1.三基枠水制(さんきわくすいせい)

三基枠水制筑後川の中流域(47kmから51km付近)には、さまざまなコンクリート製の水制が見られる。いずれも水の流れを川の中央側にはねだして、河岸を浸食から守るのが役目。昭和30年代後半から、全国的な傾向として根固め工が施工されるようになり、水制は激減した。

2.大聖牛水制(だいせいぎゅうすいせい)

大聖牛水制丸太材を三角錐に組み立てたもので、牛の姿に似ていることから命名されたといわれている。流れの早い川の水が岸にあたる部分に置かれるもので、水の勢いを緩めたり、流れの方向を変える効果がある。写真のものはコンクリート材で耐久性を高めている。

3.コンクリート杭出水制(くいだしすいせい)

コンクリート杭出水制杭を一定の間隔で打ち込む水制で、比較的流れが緩やかな川で使用するもの。水の流れに変化をつける働きがある。洪水時に高水敷が水で削られるのを防ぐことを目的に設置されたもので、昭和28(1953)年洪水の復旧工事の一環として設置されたものと思われる。

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水はね

水はね藩政時代、自国の領土を守るため、水の勢いを相手方に向かわせられるよう、川の中に作られたもの。川の中に向かって突き出すように石を積み上げたもので、現在でも杷木町付近では昔のままの姿で見られる。

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大石堰

大石堰寛文3年(1663)の大干ばつを機に、地元の五庄屋が提案し、久留米藩の丹羽頼母を監督として、延べ四万人を動員して完工。昭和28年の大水害で流失後、固定コンクリート堰に改修された。左岸側にある大石水神社には偉業をたたえる「三堰碑」が建てられている。

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