下田の渡し(平成2年頃)
筑後川に橋があまり架けられていなかった時代には、渡し船が各地で見られ、風物詩となっていました。最盛期には62ヶ所もの渡し場があり、長い間重要な役目を果たしてきましたが、やがて橋が各地で架けられるようになり、平成6年下田の渡しを最後にすべてが役目を終えました。
若津の渡し(昭和31年頃)→
筑後川の渡し一覧
昭和初期の若津港
昭和初期の荷役労働者(若津港) |
かつては舟運が盛んで、下流部には諸富津、若津、蒲田津、早津江津などの河港が栄え、大阪などへ米穀を売りさばく千石船の往来もありました。上流の日田からは杉をいかだに組んで流し、木材の集散地、大川では木工業が発達。しかし物流の輸送の主役が陸路へと変わるとともに、筑後川の舟運は衰退。いかだ流しは、夜明ダムの建設とともに昭和27年12月27日を最後に姿を消しました。
筑後川を行き来していた千石船
いかだ流し(夜明) |
いかだ流し(荒瀬) |