坂口、天建寺、小森野、金島4大捷水路工事
筑後川中、下流部は、典型的な緩流河川の様相を呈している。すなわち久留米の狭さく部より上流は、筑後川の洪水がこの狭さく部で疎通を阻まれ、下流一帯に湛水するため流送土砂が堆積してできたデルタであり、久留米より下流は主として矢部川の流送土砂および背振山系よりの流出土砂が干満差の大きい有明海のために堆積したデルタである。このような緩こう配沖積平野を流れる本川は各所で湾曲の著しい蛇行河川となり、洪水の疎通を阻み沿岸一帯にじん大な被害を生じていた。
このため徳川時代においては瀬ノ下新川開削(1,606 年~1,619 年)等が行なわれた。明治20年第1期改修工事が着手され、主として低水工事が実施されたが、併せて金島、小森野、天建寺、坂口の4放水路工事が施行された。この工事では、掘削は行なわれず両岸に堤防のみを設け、放水路の流入、流出口には石造の堰を設けて河床の洗掘を防止した。
続く第二期改修工事においては、高水防御工事に重点がおかれ4放水路はいずれも中央部を60~100間(110~180 m)の幅で約5~6尺(1.5~1.8m)掘り下げたものである。さらに第三期改修工事に着手し高連続堤方式による高水防御工事が実施された。この工事により前記放水路はほぼ完全な捷水路となり、昭和2年から同25年までの間に約9km流路短縮が行なわれ現在の河道となったものである。なお、工事は昭和2年に着手されたが途中緊縮財政により遅延し昭和33年に完成した。その概要は表のとおりである。
捷水路名 | 旧川長(m) | 新川長(m) | 短縮量(m) | 掘削量(千m3) | 主たる掘削期間 |
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坂口 | 3,360 | 1,580 | 1,780 | 920 | 昭和2~7 |
天建寺 | 3,250 | 1,760 | 1,490 | 1,640 | 昭和2~14 |
小森野 | 5,000 | 2,350 | 2,650 | 1,400 | 昭和3~10 |
金島 | 4,360 | 1,490 | 2,870 | 1,170 | 昭和7~24 |
計 | 15,970 |
7,180 | 8,790 |
5,130 |
坂口捷水路
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天建寺捷水路
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小森野捷水路
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金島捷水路
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